日本喘息患者会連絡会(日喘連)会長・西村さんのお別れの会出席

一昨日は日本喘息患者会連絡会(日喘連)会長・西村さんのお別れの会に出席、患者さんの役員と共に、お別れと御礼の話。昨日は告別式で「西村さんのラスト(最後の)メッセージ」をお話させて頂きました。故人の願いや希望とご家族の思いが伝わる式となりました。

1989年に結成された日喘連の最盛期は、38都道府県・55喘息患者会・会員総数4500名でした。1980年に石川県で始まった4年制の喘息大学は、宮城・長野・愛知・和歌山・大阪・岡山・鹿児島の総計8大学に広がりました。日喘連会長の西村さんは人工呼吸器をつけたことのあった重症患者でしたが、ここ数年は一切の喘息薬を使わずともお元気で、活躍されていました。お亡くなりになられる前の日、子供さんとお孫さんが城北病院で働き、頑張っておられるお話をしたところ「孫はかわいい!」と「嬉しそうな、これまで見たことのないような笑顔」を見せて下さいました。その後「脈が触れない」とご家族から電話があり、病室に駆けつけました。それから2時間後の午前4時20分、永眠され、最後のお見送りをご家族と共にさせて頂きました。喪主の許可も得て、ここに、ご報告させて頂きます。