松井選手・御苦労様でした

まず皆様、この1年間、有難うございました。厚く御礼を申し上げます。松井選手を例に挙げ、皆様に御礼を述べて、今年を終わりたいと思います。
石川県に住む者にとっては、一つの時代を区切る、「松井秀喜選手の現役引退表明」が暮れにありました。
日本時間で12月28日、ニューヨーク市内のホテル[:ビル:]で記者会見し、「最高に幸せな日々でした」と目を潤ませながら、語った姿を同日午前7時のテレビニュースで、私も見ました。で通算507本塁打を放った20年間のプロ生活に幕を下ろしました。38才でした。
  神戸新聞
一生懸命に努力した20年間だったと思います。応援をしてきた1人として、「御苦労様でした」と12月31日に記載させていただきます。そしてその偉業をたたえます。また、これからの努力生きざまに期待するものです。
長島選手も38才で引退しました。
私は同じ38才の時に、4年制の喘息大学石川県喘息友の会石川民医連の支えで開講しました。1980年5月24日のことです。
24年間継続し、1469名の卒業生を全国に送り出しました。そして2003年5月13日、最後の卒業式を行い、喘息大学の幕を閉じました。以来毎年5月に成人喘息ゼミナールを開催し、現在に至っております。
松井選手の20年間の偉業と比べれば、あまりにもささやかで、正にスッポンです。
しかし私の場合は38歳からで、70才までの32年間、医師人生患者さんや職員に支えられ、皆様の協力を得て今日まで長く続けることができました。やってきた仕事はたとえ小さくても、松井選手以上に感謝しなければと思った次第です。
新しい年に向かって、一つの区切りとして、駄文を記させていただきました。これからもささやかな歩みですが、力の続く限り、日本の喘息患者さんを少しでも良くしていくために、頑張ってまいります。
皆様、これまで十分過ぎる程、支えていただき有難うございました。また私どものホームページ応援とアクセスを有難うございました。拙いホームページでありますが、来年もご協力をお願い申し上げ、また数々のことについて御礼を申上げ、今年度最後の喘息ホットニュースとします。

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