第6回成人喘息ゼミ 反省会と御苦労さん会 25

かっては(1973年から1980年まで)城北病院で最重症の患者さんでした。この人が良くなるなら日本の重症の患者さんは「みんな
よくなるかもしれませんね
」と語りあったものです。喘息大学1期生として入学され、卒業時には随分とよくなられました。卒業後
喘息大学事業部
を担当され、現在は石川県喘息友の会役員として、わかばの発送業務をボランティアとして継続されています。その体験は「さらば喘息」(桐書房)に掲載されていま
す。現在は喘息の吸入薬も内服薬も一切使用しておられず、全くお元気です。ひどかった当時を知る職員や患者さんは「どうしてそんなに良くなったの」とびっ
くりしたり奇跡のように語りあっています。たとえ「重症患者であっても、努力次第でよくなる」という確信を私や喘息患者さんに与えてくださったお一人です。