目 次
215. 虎にちなんで考える
喘息をよくし治すために(215)
喘息大学学長 清水 巍
あけましておめでとうございます。毎年の恒例ですが、野口正路さんの「新年に贈る言葉」(土曜美術出版販売)から詩を引用し、冒頭を飾ります。
21世紀に入って10年が過ぎようとしています。虎は地球に、そして人間に何を訴えているのでしょうか。「虎は絶滅危惧種になってしまった。こんなことを続けてよいのか?」と訴えているように私には思えます。それで今号の冒頭の挨拶にも書きましたが、ここでもう少し詳しく書いてみます。
インドネシアのスマトラ島に生息するスマトラ虎は500頭が確認されただけで、大変希少になりました。シベリア虎は世界中で500頭しか確認されていないそうです。中国の東北トラなど8種類の亜種全てが絶滅の危機にさらされています。毛皮の販売や漢方薬の虎骨採取の問題もあるでしょうが、地球温暖化、Co2の過剰排出の問題もあるのではないでしょうか。
虎だけでなく、北極の氷が減ったため、北極熊は食べる餌が減って、共食いをして生き延びようとしているのだそうです。まるで戦争末期に人肉を食べた兵隊さんと同じ姿ですね。根本には、人間の企業利益、損得、経済性ばかりを追求する欲や国家の姿勢、政治、それを許容してしまっている「人間の傲慢さ、情けなさ」に起因しているのではないでしょうか。昨年末のCOP15の姿を虎は嘆いていると思います。
まず第1に「地球環境の将来」のために温暖化をストップさせること、「企業の利益だけ追求する姿」を改めること、「人間の欲望」に自制をかけることが必要であります。
虎は自分達が減っているにもかかわらず、「日本の喘息死が減ってきたこと」を喜んでくれているかもしれません。中島敦の小説に「山月記」があります。中国の人虎伝という物語がベースになった小説です。「人間が夜になると虎になる」人の物語です。
中島敦は喘息で苦しみ、スマトラで亡くなった人ですから、私の初めての著書「みんなで治す喘息大学」(合同出版)28頁に次のように書きました。
「中島敦の場合、夜、虎になり、やがて昼も虎となり、虎でいる時間が長くなったという表現は、喘息発作を起こしている姿を虎にたとえていたのではないかと思えてなりません」・・・と。
喘息で苦しむ姿は今は虎ではなく、「猫になったぐらい」とたとえることができるほど軽くなってきました。喘息死も減ってきたし、コントロールしやすくなってきました。医学・医療の発達はよいことですから今の時代は、第2に「自分にあった一層よい治療」を選ぶことが大事と言えます。
新たな吸入ステロイドとしてアズマネックスやシムビコート(次のページ以降に紹介)を試しつつ、自分に最もよい治療を選ぶ年になったのです。鼻や耳の合併症治療、癌などの余病早期発見、早期の治療なども今年の課題です。
虎や鮎も増える地球環境、自然が戻ってほしいし、虎や鮎にも「よりよく生き、長生きし、よりよい死を迎える」年になってほしいものです。そういう時代を作る年に今年をしなければなりません。そのためには、私たち自身が「よく生き よく笑い よき死と出会う」準備をしましょう。
5月29日講演の西野先生は、金沢に初めて来られます。喘息の患者さんに「生命力のみなぎくる呼吸法」を伝えたいと張り切っておられます。西野先生は2007年の呼吸器学会で最も重要な基調講演をされた先生です。デーケン先生はユーモアの大切さを説き、自分の死だけでなく家族の死、身近な大切な人の死とどう向きあったらよいのか講演して下さいます。虎も喜んでくれるトラ年にトラ(・・)イ(挑戦)しようではありませんか。 (清水)
216. 可能な努力
喘息をよくし治すために(216)
喘息大学学長 清水 巍
「今年も暖冬という予測」が流れていました。しかし、あにはからんや、冬になってみると寒さが続いたり、雪が例年よりは降り積もったのではないでしょうか。皆さんの所はいかがだったでありましょうか。金沢は今のところドカ雪という程ではありませんが、よく白くなりました。
地球温暖化は進んでいるのでしょうが、「暖冬へ一路進行」ではない気象に何かホッとした感じもします。まだ人類や私たちの努力次第では地球環境を守れる可能性が残っている気がします。そのような時に、可能な努力を尽くすことが必要ではないでしょうか。
時、あたかも「日本で絶滅したとされる朱鷺(トキ)が、石川県は最後の生息地だったということで、佐渡ケ島から石川動物園で分散飼育される」ことになりました。「能登の空にもう一度トキが乱舞するのを見たい」という夢を抱き、実現のために奮斗された人は能登の村本義雄さんでした。北陸3県喘息患者交流会が能登で開催された時に、お話を伺いスライドを見せて頂きました。村本さんの努力が中国で生息していたトキと結びつき、今日につながったのです。トキが生息できる田、山や川、自然の回復への努力も始まりました。
努力することは可能です。可能性があれば努力が報われるという見事な話・実例を村本さんやトキは見せてくれました。
これを石川県喘息友の会「わかば」にあてはめてみます。
Ⅰ)会報が喘息患者さんのために役立っていくこと
喘息がよくなってきたり、会員の高齢化が進んだり、デフレや生活苦の進行で家計がキツクなったりと、会員減少の要因が少なくありません。そういう中でも会報を少なくともあと5年、40周年まで発行し役立っていくことが必要です。
「心身障害者団体の発行する定期刊行物」と認定されれば、現在の1部郵送料が60円なのですが、8円ないし15円になるのです。A4版で大きな活字で見えやすくして、今のB5版50gの倍100gの重さにしたとしても11円ないし20円で郵送できるのです。
これが可能となれば、会員減の場合にも対応できるし、会員増への転換に利用できるかもしれません。色々な可能性が出てきます。これを悪用したのが、これも石川県白山市のAという会社でした。B電器などのダイレクトメールを、この制度を利用して大量に送っていたのです。それが摘発されて認定の基準は極めて厳しくなりました。わかば会は悪用するのではなく、正当な挑戦をしてみることにしたのです。可能な努力をやってみることにしました。
Ⅱ)クリアーするための基準
わかば会が喘息患者の団体であり、心身障害者団体の発行する定期刊行物として「わかば」が認められることが必要です。発行部数も回数も、会員数も会費徴収もクリアーしていますが、そういう団体として認定されることが必要なのです。
障害者基本法という法律で障害者の定義は『障害者とは身体障害、知的障害又は精神障害(以下「障害」と総称する。)があるため、継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者をいう。』(第2条)とされています。喘息患者さんはこれをクリアーします。
しかし、県がこれを認めてくれることが必要なのです。問い合わせてきたところ、「前向きに検討しましょう。但し、そういう団体なら“身体障害者手帳”を持ち認定されている人達が一定数いるはずです。どれだけいるのか調べて報告して下さい。その数の報告次第で、認定するかどうか決めます。」という返事を頂きました。
Ⅲ)皆さんへのお願い
2月中はウラ表紙にも明記していますが、会費の納入時期です。外来持参ないし、振込用紙に身体障害者手帳
(中味は問いません)を持っていているかどうか、持っていれば何級か明記して下さい。可能であれば、そのコピーをわかば会事務局に送って下さい。
FAX(076-252-6746)
手帳を持っている人の報告・実践が村本さんのように「わかば会」の救世主になって頂けるのかもしれません。
こうした可能性をつくす努力を今年も続けましょう。
217. あたたかな春を迎えたい
喘息をよくし治すために(217)
喘息大学学長 清水 巍
2月も寒い日が続きました。金沢にもよく雪がうっすらと降りつもりました。能登の奥の方は多かったそうです。東京や茨城、神奈川にも雪が降ったそうですから、全国的に久々に多かったのではないでしょうか。皆様のとこはいかがでしたでしょうか。
いつまでも寒い日が続いたせいか、石川県の会員の中には、新型インフルエンザが下火となり、季節性インフルエンザも流行していないのに、とうとう風邪を引いて、久々に点滴に長く通うという人も出てきました。そのお姿を拝見していて「風邪のウィルスもあったかもしれないが、それだけではなく、寒さが続いて身体や気持ちがギブアップし悲鳴を上げたのではないか」と感じました。
「時は春、日は朝(あした)」とイギリスのブラウニングの詩にあるように、もう3月ですから、あたたかな春はもうすぐです。一刻も早く、そして確実な春を迎えたいですね。「寒い冬を乗り越えることができた」のですから、今年の春をより貴重な有難いものとして味わいたいものです。
寒さで体調を崩し、喘息が続いた人もアズマネックスやシムビコートの新薬を使える時と重なりましたから、切り替えることによって救われたという人が何人も出ました。これまでの吸入からそれらの薬剤に切り替えて、「ああひどい、ああしんどい」と外来でよく言われる人が、言わずに外来に来るようになったとか、体調を崩すとなかなか回復しなかった人が、体調を崩さなくなったという人も出ました。このように、自分にあうクスリを選べるようになって、「体の春」を迎えられる人が出てきました。薬の進歩も「あたたかな春を迎える」のに役立つということです。前の薬の方がよいという人もいました。
「ふところの春」もあたたかくなるとよいですね。右は薬価一覧表です。どれを選び、どのようにコントロールするか、選ぶ時代なのです。安い薬だけ選べばよいというものではありません。コントロールがよくないと「春を迎える」ことにはなりません。どれをどのように使って、点滴や通院回数を減らすか、快適・快調な毎日を維持するか、工夫と学習が必要です。この値段表ひとつ取っても「わかば」は有用な情報源です。「わかば」や第9回成人喘息ゼミナールで学び、他の喘息の人よりも「物心両面の春」を実現しましょう。
わかば会は36年目を迎えることになりました。昨年度35周年記念を迎えたのですから、粟津温泉「のとや」での石川県喘息友の会総会は第36回総会でした。新年会も大変楽しく、初めての人も36年の芸の蓄積を楽しみ、お湯だけでなく人と人とのつながりの「ぬくもり」を味わいました。36年目の飛躍として、石川県に心身障害者団体として認められれば、A4版の会報にしたり、郵送料を安くできるかもしれないのです。会にとっても「あたたかな春」を迎えられるかもしれません。皆様から手帳のコピーをたくさん送って頂いております。まだの方は是非ともコピーをFAXか郵送で送って下さい。
もう一つ明らかになったことは、「心身障害者」=「身体障害者手帳」ではないということになりました。前号でお伝えできなかったのですが、精神科、心療内科、あるいは発達障害などで手帳をもらっている人も対象となるそうです。もらっている人には分かるということですので、以下に大きく書きます。
以上をお持ちの会員の方は、そのコピーをTEL/FAX076-252-6746 へ送って頂けないでしょうか。郵送でも構いません。その手帳をお持ちの方、送って下さった方も「わかば会」に春を呼ぶ救世主、春の女神となるかもしれません。身体障害者手帳はもちろんです。留守電への録音だけでも可です。
3月は第9回成人喘息ゼミナールの申し込みの月であり(〆切は4/10)、わかば会更新の月です。この両方とも成功させて、御一緒に「あたたかな春」を迎えようではありませんか。会員同士のつながりが春の花のように美しく、見事な春爛漫の姿となりますように。
218. 眼光、紙背に徹す
喘息をよくし治すために(218)
喘息大学学長 清水 巍
上記の言葉は「紙の表面(オモテメンないしヒョウメン)を見たり読んだりし
て分かったとするだけでなく、裏面(ウラメン)の中身や意図するところを深く把む」という意味で使われます。
わかば4月号の表紙は今年度は「緑から黄色になったんだ」というだけでは、表面の理解だけです。裏側の編集後記まで読んで頂き、「なるほど、そういう意味があって黄色の年か」となれば、紙背に徹したことになるでありましょう。
この会報「わかば」が宮岸会長や事務局、沢山の会員の皆様の真心がこもったものであり、発送がボランティアの方々によって行われているものだと理解することも必要です。徳田名誉会長の御尽力で、「ITわかば」がカラーで配信され、IT通販部やホームページも無料のボランティア精神で連動していると評価して下さると100点満点です。
3月号の表紙「雪割草の群生写真」をご覧になって、同号編集後記の写真・乙女桜の写真を送って下さった愛知の大中さんが「とても感動した。愛知に清水先生が来るというので少し緊張」との発言をされました。愛知で見る雪割草は全部鉢植えだけれども、「門前・猿山岬の写真の花は自然の中で咲いている。そこにとても感動した」と言われたのです。「生の清水先生が来るんだから少し緊張」ということにも通じます。こうなると120点ですね。1枚の写真から深く理解した見本でありましょう。
前置きは次への布石です。ステロイド吸入剤のアズマネックス(最も強力かもしれない)の新発売、すぐ効果を実感し・長時間拡張させ・気道の炎症も抑える3拍子揃ったシムビコートの新発売、そこまでくれば終わりだろう、もう「わかば更新もゼミ参加も必要ない」と言われた会員さんがおられました。ごもっとものようなお話ですが、「紙背に徹した」とは言えません。医学的新情報をご覧になって下さい。3月から4月のひと月だけで、新情報がメジロ押しなのです。
①アドエアのエアゾルタイプ125と250μg・120回吸入用、近日発売!
②スピリーバの新しい剤型のニュース、より効果的か?
③4月からの薬価改定。3月号に旧薬価を掲載しましたが、2年に1回の診療報酬改定で薬価も変わるのです。但し今回は少しだけしか変わりません。比較し易いように右頁に要約掲載、後ろの頁に別概念で紹介しました。
④喘息の患者さんの中では最も難病の1つ「チャーグ・ストラウス症候群(アレルギー性肉芽腫性血管炎)」に対して、免疫グロブリン製剤による治療が保険で認可。
以上、4つを紹介しました。これらは正確な情報入手として必要なものです。
しかし、免疫グロブリン製剤について読んだり見たりしただけで分かるでしょうか。第9回成人喘息ゼミナール2日目(5月30日日曜の午前)、清水の教育講演で、城北病院や診療所で治療する場合、他病院や医院で治療を受ける場合、と丁寧に教育・解説されます。そのために教育講演があるのです。
鼻に関しては「鼻洗浄器(エネマシリンジ)」の体験発表を宮城県の人がします。耳が不都合となった好酸球性中耳炎の喘息患者さんは著増です。金沢大学のその病気専門医・伊藤真人先生が、西野先生・デーケン先生の講演後に講演され、新知見の紹介・質疑応答があるのです。自分の関心あるテーマ別・体験交流会も含め、第9回成人喘息ゼミナールは今の情勢に見合って内容豊かです。
「わかば・成人喘息ゼミ・右下にあるCDやテープでの学習は、日本で最先端の喘息患者教育である」と同感して頂ければ、意が通じたことになります。もちろん、時間や費用、都合や年齢などの様々な条件、障害や課題があることもよく承知しております。それも理解しないと「眼光、紙背に徹す」ことになりません。
であればこそ、「せめてわかばが、母親の胎盤と胎児をつなぐ臍の緒のように、若葉と若葉をつなぐ枝のような絆」として大切にして頂きたいのです。「神奈川県の神さんが病院の待合室で喘息日誌を広げて友人と話をしていたら、それは何ですか?と聞いてきた人があり、わかば会入会につながった」という経験や、東京の佐藤さんが「小児喘息のお子さんを持つお母さんを会に誘った」とのお話は、絆や枝が横に広がる話です。そこまで行ってこそ「紙背に徹した」炯眼・慧眼(けいがん)と言えます。今年度会員の眼を信じます。
219. 光あるうちに光の中を歩め
喘息をよくし治すために(219)
喘息大学学長 清水 巍
上記の言葉はトルストイの短編小説の題名です。キリストが生まれた100年後のローマを舞台にした物語。主人公は現実の社会の中での成功を求めて努力しますが、負傷したり、妻に先立たれたり、息子の放蕩、上司の失脚に直面し、富や地位だけでなく「心の平安」の必要性を感じます。かつての友人のキリスト教徒のもとで生活するようになり、平安を得たという内容です。トルストイ自身の物語のようですが、ここでは光について2つのことを言っているように私には思えます。
1つは「光を見ることのできる、生きているうちに」ということです。2つ目は「キリスト教の光り」ということです。後者は後で論ずることにして、前者の「生きていることと光」について考えてみました。
4月号のわかばで雪割草について書きました。写真だけでなく、この機会に本物に出会いたいと門前の猿山岬に出かけたのです。冬休みを有休として2日間とれるのですが、なかなか取りづらくて有効期限最後の3月30日と31日に設定し出かけました。その写真の一部が下のものです。
道の両側に雪割草
拡大写真
可憐でありロマンティックな花でしたが、光のよく当たる斜面に咲いていることに気づいたのです。上の雑木林や灌木の葉が落ちて明るいとこに咲いていました。小さな花も生きるということと、光の大切さを教えてくれたのでした。同時に「眼光、紙背に徹す」と前号に書いたような出会いや「いきさつ」が無ければ、論ずることや賞でることはあっても、「生の姿」を見に出かけることなどは無かっただろうと思いました。「これぞ、光あるうちに光の中を歩め」という見本かと思いつつ、左写真の小径を歩いたのです。
山の「タケノコ」、海の「ワカメ」、表紙の写真も一緒ではないでしょうか。光と自然合成の見本です。どちらも旬(しゅん)のものですから、見るだけではなく、味わい食したいものです。昨年5月、近くの八塚山に登り、掘ったばかりのタケノコを焼いて食べましたが、とても美味しかったです。
先日、関西から長年喘息で苦しんできたという奥様とその御主人が外来に来られました。関西の有名病院を転々としましたが、「ステロイド吸入が増えていくばかりで不安だった」と言われました。検査に回って頂き結果が出るまで、わかば会事務所で4月号の発送をボランティアでして下さる宮岸会長以下の皆さんの場所に見学に行って頂きました。そこで「よくなり治っていく光に出会ったのでしょう」、検査結果を話す時には顔が輝いていました。「成人喘息はよくなり治ることはない」と言われ続け、長く暗いトンネルを歩いてきた先に出口の光を見つけたのでした。これも「光あるうちに光の中を歩め」の見本です。
わかば会入会、ゼミ参加を御夫婦で申し込まれました。昨年度の「わかば」も昨年度会費を払って12ヶ月分持って帰途につかれました。キリスト教という宗教などだけでなく、喘息患者にとって「光を見つける場所」を作り上げることが、私たちには必要ではないでしょうか。すなわち宗教に限ることなく、「光のように輝く場所を作れ」というのが、後者の意味だと思います。それが大切だと思うのです。
一方、能登の奥から通院の学校の教師の患者さんに下の講演会を勧めました。
「2000円、なんと高いんだ。土日は休みだけども断る」とおっしゃいました。2000円×300人でも60万円です。ホテル講演会場費だけで30万円。西野先生への講演謝礼は普通は百万円以上ですのに、デーケン先生ともども私どもの意気や姿に感じて来て下さるのです。それでも秘書、同行スタッフの交通費・謝礼を含め70万円、総計100万円以上はかかります。
来る先生方も迎える私たちも「生きているうちに、光あるうちに光の中を歩む」見本として、講演会やゼミを成功させましょう。
私は小、中、高時代、文庫本を買うお金しかありませんでした。トルストイのこの文庫本を買って読み、大事に保存したのを思い出します。それが巡り巡ってこの文と光となりました。生きる光あるうちに、心の中に光が灯り拡大することを求めて、御一緒にわかば会の歩みを進めましょう。
220. 人間万事塞翁が馬
喘息をよくし治すために(220)
喘息大学学長 清水 巍
このテーマで書いてみようと思いました。昔なら「ことわざ辞典」で調べるのですが、インターネットではどう書いてあるか調べてみました。「じんかんばんじさいおうがうま」と平仮名がふってありました。あれっ?「ニンゲン」と読んでいたんだけども違うんだとビックリしました。読み進むうちに、どちらでもよく、ニンゲンは呉音読みで古く、ジンカンは後世、仏教の知識と共に伝えられた新しい読みなのだそうです。人間は人という意味だけでなく、「人の世」「世の中」という言葉として古くからあり、上記のことわざは、どちらの読みでもいいけれど、意味は「世間(せけん)」が正しいと書いてありました。
自分の長年の思い込みが正確化し、よかった、これも塞翁が馬の一つかと思いました。同時に、私には間違った思い込みが沢山あるけれど、「喘息をよくす」という努力を患者さんと共に進めて行く中で、少しずつ正されるのだと嬉しく思いました。皆さんのおかげです。
中国の古い書物「淮南子(えなんじ)」に書かれている話です。よく出てくる言葉ですので、皆さんはどういう意味かはご存知でありましょう。「城塞に住む老人の馬が逃げ出した不幸が、福につながった」というストーリーです。今後に役立つことでもありますので、インターネットの検索で最初に出会った解説を下に紹介しました。
4月23日~25日まで第50回日本呼吸器学会、5月8日~9日まで下の写真の学会が、同じ京都宝ヶ池の国立京都国際会館であり、出席してきました。
メインの基調講演だけ、ここに紹介します。山中伸弥京大教授による「iPS細胞」のお話です。人間の胚細胞(受精卵の細胞)からあらゆる臓器の細胞を作れることがわかったのですが、米国のブッシュ大統領が倫理上の問題ということで、研究と開発をストップさせました。米国の研究はストップしたままとなったのですが、山中教授は「それなら皮膚細胞でやろう」と取り組み成功させたのです。ヨーロッパではその後、髪の毛1本から人間の全ての細胞を創る研究が進んでいるのだそうです。これなど「塞翁が馬」の典型ではないでしょうか。悪役?ブッシュのおかげで日本人による再生医療が花開く時代となったのです。
我が家では「孫と同居」という夢が2年間ほど叶ったのですが(皆さんと同様、楽しみであり癒されました)、婿さんが神奈川の研究所から再び出向してほしいと白羽の矢が立ち、2年間?(あやしいもの)の約束で6月から再度行くことになったのです。別れのため再び神奈川詣でをしなければならなくなりました。評価され、見込まれての御指名ですから喜ぶべきことなのですが、孫は1人しかいません。これも「塞翁が馬」になることを祈るのみです。
2007年の呼吸器学会の基調講演を西野皓三先生が有楽町の国際フォーラムで担当されました。京大の山中先生と同格でした。デーケン先生は喘大の講演にお呼びしたいと考えていたのにドイツに帰ってしまわれたと聞いて諦めていた先生でした。日本に戻られたことを知り、別々の年に来て頂くよう準備を進めておりました。ところがお二人とも2010年5月29日(土)なら行ける、他の日はダメだと言われたのです。お二人を同時にお迎えするというのは大変なことでしたが、喘息の人や石川県の人のためならばと実現させたのです。
人間は生き、そして全ての人が、いつか死にます。最後の死ぬということさえも「塞翁が馬」の1つとして、有難うと感謝して死ねるよう生きるべきではないでしょうか。喘息があったことは不幸だったけれども、わかば会を通じて喘息をよくし、それだけでなく大切な「生きる道、人間関係のあり方」を学んだ皆さんです。「人生はあざなえる縄の如し」とか、「禍を転じて福となす」とも言われます。禍福は予測できないとしても、最後の死も福で終わりたいものです。
生きることも死ぬことも、何事も幸せの種(タネ)に転換できる生き方を、会員の皆さんにして頂きたい、そういう思いで書きました。
221. ドイツのことわざ
喘息をよくし治すために(221)
喘息大学学長 清水 巍
今号ではドイツの諺(ことわざ)について考えてみます。アルフォンス・デーケン先生のお話を直接聞くことができました。本で読み、CDで講演をお聞きし、テレビでも先生の番組を見たりビデオにも録って何本か拝見していましたが、生の話を生で聞くというのは数倍いいものですね。冒頭に、皆様にも「生のお話を聞くこと、生の体験をすることの大切さ」をお勧めしておきます。
私はかつて「知識として知っておけば行動が変わるものではない。体験という生の経験が頭の細胞を変性し、よい方向に変化させてくれる」と書いたことがあります。第9回成人喘息ゼミナールやデーケン先生の講演、「デーケン先生と共に過ごす夕べ」はその最たるものでした。
デーケン先生の講演後の質疑応答は、参加者に譲らねばなりませんでした。もし質問が無かった場合にということで、私はひとつの質問を準備していました。質疑応答は沢山の人の手が上がったものですから、限定せざるを得ず、私の質問も出すことができませんでした。それで夕食交流会の挨拶の中で次のように話をしたのです。
「私たちは体験交流会を重視してきました。生の交流が人を変化させるのに役立つと、喘息の人に教えられたからです。先生も全国の『生と死を考える会』で必ずといってよいほどグループ討論・体験交流会をなさっておられますね。私たちと共通するのですが、先生のお考えをお聞かせ下さい。」
その後に挨拶に立たれた先生は「ドイツには、“共に喜ぶのは2倍の喜び、共に苦しむのは半分の苦しみ”という有名は諺があります。話し合うということが自分を見つめ直す機会となり、次の一歩をよりよく踏み出せるのです。」と説明して下さいました。
これも川北さんが撮影してくれました
私たちもデーケン先生も長い間、このドイツの諺を実践してきたのではないでしょうか。そのような機会の一つである来年の第10回成人喘息ゼミナールは記念の年を迎えることになります。今度はどなたに来て頂くのか、私は来年100歳になられる日野原重明先生か、デーケン先生のアンコール以外にないだろうと石川県喘息友の会役員会やゼミ反省会、職員に提案しました。皆様、いかがでしょうか。もっとよい人があればご提案下さいね。せっかくの機会ですから交渉します。
分散会=体験交流会を個室で、という希望を入れると金沢都ホテルしかないのです。来年の5月21日(土)と22日(日)なら空いているので仮予約しました。日野原先生にも丁重な手紙と私たちの資料をお送りし、「喘息患者に先生の力をお貸し下さい。」と正式な依頼をしました。秘書の方からお電話があり、「その頃は多忙で日程が入っており、残念ながら受けられない」とのお返事でした。デーケン先生の秘書の方からも、その日程ではダメだとの御返事でした。
4月~10月までの土、日で都ホテルと先生方の日程がマッチする日があるかどうか、次の検討の段階に入りました。第3の候補の人が5月21日、22日OKならその5月に決定。先のお二人の先生のご都合によっては、4月~10月のどこかにズレる可能性も今からお知らせしておきます。
石川県庁からも電話連絡がありました。「皆様の障害者団体としての認定申請の書類を検討しました。関係機関と相談したのですが、悪用事件があってから国が基準を明確にしておらず、県や市に任せたままなのです。県はそれ以降1件も認定していません。国が基準を明確にするまで待ってほしい。」という返事だったのです。日本難病・疾病団体協議会(日喘連として加盟している)を通じての国との交渉という具合に、これも第2段階に移らざるを得なくなりました。
講師の交渉、第10回成人喘息ゼミの成功、身障者団体としての認定、発行物の郵送料割引ともに追求してまいります。私の新しい本は、第一次著者校正を済ませ、合同出版に送りました。合同出版の方でも着々と準備を進めてくれていますので、これは今年9月頃には日の目を見ることができそうです。共に喜んで頂ければ2倍の喜びとなります。1000円以内となるようなコンパクトな本で、広く読まれるようにということを目指しています。
秋に開催されるであろう関東、関西、東海、中部、北陸の交流会で販売されるでありましょう。その開催に花を添えることができればという思いで準備中です。小児喘息サマーキャンプ、各地の交流会、これに参加する人が増えれば、「共に喜ぶのは2倍の喜び、共に苦しむのは半分の苦しみ」が広く実現できるのではないでしょうか。
各地区の準備下さる方、参加される方、大変でありご苦労さまです。第9回成人喘息ゼミが終わり、秋の交流会という第2段階に舞台は移ります。よろしくお願い致します。
アズマネックスやシムビコートも県連の薬事委で検討されて、広く使える第2段階の秋がやってきます。これも含めて全ては夏から秋に舞台は移ります。「共に喜んで喜びを倍にし、共に苦しんで苦しみを半分にする」ドイツの諺を日々の中で、皆様の御家族の中で実践していこうではありませんか。
毎月の講座参加もこの趣旨で行われます。どうぞ多数ご参加下さい。
222. 人生は廻る輪のように
喘息をよくし治すために(222)
喘息大学学長 清水 巍
1970年4月に虎の門病院呼吸器科で喘息や呼吸器の研修を受け入れて頂きました。北陸には肺結核以外の呼吸器疾患を専門とする医師は存在せず、大学の医局に呼吸器の講座もなかったからです。
その虎の門病院時代に指導医として大変お世話になった谷本普一先生と田村昌士先生がそろって82歳をお迎えになられ、「金寿の祝い」を東京のホテル・オークラでやるとの案内を頂きました。弟子の1人として出かけました。詳細は後記しました(20ページ)。
以来、40年も過ぎたのかという感慨と82歳でもお元気にお過ごしになっておられる両先生を間近に拝見し、「私はそのお年まで、あと十数年しかない」という思いが交錯しました。喘息が難病で大変な時代から見れば、現在はコントロールが可能な時代となり、一層よくなったり、治ったりする時代となりました。40年の年輪が回り、喘息がより安定するところまで時代は回り、次の課題に挑戦することが求められているのです。
そんな時、小学校3年の時「お母さんの喘息」について喘大で語り、鳥取大学医学部に合格し、喘大に再び来てくれた塚田裕子さん(今は医師)から1枚の写真とお手紙を頂きました。「第8回成人喘息ゼミナール」の時に来てくれた尾辻健太医師(神戸出身)と沖縄の同じ病院で学び、働いているというのです。お2人も御家族もびっくりでしょうが、私も偶然の重なりに驚きました。
下の写真は埼玉県出身の中村崇医師と奥さん、子どもさんです。彼も医学部学生時代、喘息大学のボランティアとして活躍し、埼玉の患者さんとよく酒を飲み語り合いました。彼は癌研・有明病院で研修し乳癌、肺を専門とする優秀な外科医師となって、城北病院で活躍しています。
「人生は廻る」「時代は回る」というテーマで書きたくなったということがお分かり頂けるでありましょう。それだけではないのです。「城北病院に研修医として入る医師が、今年は4人だったのに来年はゼロ」という事態に直面したのです。これは「有難くない時代の輪」です。私たちや後輩が、全国の医学部から城北病院に連続的に来るということによって、今日が築かれてきました。それがなければ塚田さん、尾辻君、中村医師、そして今日の皆さんも無かったでありましょう。
ピンチです。そこで全国のわかば会員にも、医師や医学生のお知り合いがいないか訴えることになりました。どんなことでも連絡頂ければ、その医学生の意志を尊重しながらも可能性を探っていきます。医学生担当も何の御縁か、喘息大学やわかば会で育てられた柴原さん、藤場君(共に前事務局長をした人)、茶久君(寺井のわかば会前事務局長)が担っているのです。「喘息の御縁をよい方に変える」それを実践してきた私たちならば、不可能はないはずです。どうぞ私、事務局、後に掲載の連絡先(18ページ)に御一報をお寄せ下さい。次の時代がよりよい人生の輪の実現となるよう力を尽くします。第2の私や中内医師、中村医師を城北に作りましょう。
デーケン先生との御縁で「人の死」も考えるようになりました。「死ぬ瞬間」の名著で知られるキュブラー・ロスさんの「人生は廻る輪のように」の本を読みました。とても感動しました。喘息や呼吸器の分野で実践をしなければと思いました。スイス生まれで米国で活躍した彼女のその自伝の本の原題は「The Wheel(輪) of Life(人生)」、直訳すれば「人生の輪」です。その本での意味は色々でありますが、時代は廻る、人は成長する、愛や人生の思いを人は実現しようと人生は廻るという意味を引用して、今号のテーマにしました。
来年の第10回成人喘息ゼミナールに日野原先生かデーケン先生をお願いすべく、4月から10月の土日で、都ホテルとホテル金沢の都合のよい日をお知らせし、交渉してみました。残念ながら微妙に合わず断念せざるを得ませんでした。そのことを私の第281回講座で7月16日に皆さんにお話をしました。
「これからの時代をよりよく生きるために、どんな認知症があるのか、その予防は?」という話では、城北の大川義弘先生が一番良いと話をしたところ、「来年の講師は大川先生がよい」「大川先生の話を聞きたいと思っていた」と皆さんが異口同音に賛成、熱望されたのです。大川先生も快諾して下さいました。
喘息を一層よくするために、県連薬事委員会もシムビコート、ナゾネックスを本採用としてくれました。私の新著も完成、発売が近づいています。喘息をよくしつつ、次の人生の課題を達成していく、人生の輪を悪い方に回転させるのではなく、よい方向に力を合わせ回転させて行こうではありませんか。
223. フランスの健康に関する言葉
喘息をよくし治すために(223)
喘息大学学長 清水 巍
ドイツのデーケン先生が教えて下さったことわざ、スイス生まれでアメリカで活躍したキュブラー・ロスさんの本や中国の故事など、4月から考えてきました。そろそろフランスが登場してもよいのではと思っていました。9月という秋の始まり、ブドウ酒の収穫、シャンソンなどの音楽祭、芸術の秋、「秋の日のヴィオロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し」のヴェルレーヌの詩など、フランスから発信された秋の味覚や文化は豊富です。
健康の問題については、どんな言葉があるのだろうと調べてみました。16世紀ルネッサンスの時期に活躍した仏の代表的哲学者・モンテーニュが次のように語っています。「健康は唯一無二の宝である」「逸楽も叡知も学識も美徳も、健康がなければ色褪せ、消え失せるであろう」との言葉がありました。ルネッサンスのような文化の華やかな時代に、「健康の大切さが第一である」と述べていたのです。
ミシェル・ド・モンテーニュ
500年が過ぎた21世紀の現在、それは変わったでしょうか? 変わっていない重要な格言、真実のひとつだと思います。喘息との斗いを通じ、克服やコントロール成功の有難みを感じ、健康の大切さを人一倍知っていらっしゃる皆様であれば、この言葉には同感できるのではないでしょうか。この問題を考える秋、喘息克服月間の3ヶ月間にしようと本号で呼びかけます。
4歳の時に、腸チフスで避病院(伝染病棟)に入院した(喘息克服読本182頁に書きました)以外に、大病らしい病気も経験せず、小学校入学以来今日まで熱や病気で休んだ日がなく(今後はどうか分かりません)、毎朝、元気に病院や診療所、喘息患者会の行事、釣りなどに行ける喜びは何ものにも換え難いものです。ひとりよがりかもしれませんが、人様(ひとさま)に少しはお役に立ち、夏は釣りに興じ、秋は少なくなったとはいえ皆様とお会いし、学会に参加し、冬は執筆、春はゼミなどに力一杯集中できるのは、親や皆様のおかげであると感謝しています。
しかし危険もあります。夏は鮎釣りに出かけます。先日、手取川に行き土手の上に車を停め、囮(おとり)を入れた鮎缶(鮎ボックス)や竿、道具をかついで河原に降りようとしました。草は滑り、つるは足に絡む、そんな所を降りて行きます。気をつけていたのですが、足が滑って鮎ボックスが宙に浮きました。水がこぼれ、鮎の水が無くなっては大変。思わず、その箱のバランスを保とうと地面に置いたら、転んでその角に右胸部あたりを強打しました。瞬間、痛い!やばい!!だったのですが、水は少しこぼれただけでした。肋骨の骨折は無いだろう、ヒビも入ってない、腎や腸管も大丈夫と診断し、釣りは続けました。師匠級の2人が後からその場に来たのですが、痛みがあるため手取川の激流では集中できません。私は流れのゆるやかな犀川に移動し、12匹釣って帰ってきました。胸部の打撲の痛みは長いこと続きますね。
鮎釣りは危険を伴う、そして知らぬ間に加齢と老化の変化があって、癌や血管の病気が出るかもしれない、その2つに注意して毎年検診を受け、胃カメラを飲み、腹部エコー、その他の検査を十分に受けるようにしています。この秋もそれを実行します。
皆様も暑さや色々なことに気をつけお過ごしだったことでしょう。新薬も出ています。私の新しい本も出ます。喘息についていちだんとよい勉強や体験をして、コントロールを最高にして下さい。アレルギー性鼻炎、好酸球性副鼻腔炎(匂いがしない)、好酸球性中耳炎(耳が聞こえにくい)など、喘息と関連する合併症克服も、この秋の3ヶ月間にメドをたてましょう。
その他、余病、成人病、癌などの早期発見、早期のよい治療をこの秋の3ヶ月間にもう一度点検し、自信を持てるようにして下さい。その上でよい生き方、人生や日々の過ごし方をできるようにする、それこそが喘息克服月間の3ヶ月ですね。
第9回成人喘息ゼミナールDVD
3枚組になっています。
*購入については裏表紙に案内があります。
秋の各地の交流会も貴重ではないでしょうか。出会える機会、貴重な交流会、よい交流は生きる勇気や楽しみ、希望を与えてくれます。出席できない人は廣田さん御夫妻の作ってくれたビデオやDVDを見ておくとよいかもしれません。なにせ人生後半の年月や時間は残り少なくなっています。残された有限の年月や時間をどのようにしっかりと使い、悔いのない1年、今後の人生を作っていくのか、それを実行する計画を立てる3ヶ月でもあります。
危険を伴う鮎の友釣りは9月一杯で終わりです。10月1日からは頭も身体も切り替えて、喘息克服月間に集中します。皆様にとっても悔いのない、充実した3ヶ月でありますよう願っています。この9月、計画を立て実行して下さい。
さて、フランスは外来の医療費は自己負担ゼロです。モンテーニュの健康を大事にする思想がお国柄になっているからでしょうか。この日本で、ささやかではあっても、喘息の人に、喜びや励まし、一段と大きな希望を与える喘息克服月間を、皆様と力を合わせ実現しましょう。
224. 「全力をあげて、後、よしとする」
喘息をよくし治すために(224)
喘息大学学長 清水 巍
「終わりよければ全てよし」・・・これはイギリスの有名な劇作家・シェイクスピア劇曲の題名です。先月のフランスから、今月はイギリスに飛びました。
読書の秋でありますが、1603年から1604年ごろに書かれたという約400年前のこの劇曲を読む人もいないでありましょう。しかし、この言葉を引用された日野原重明さん(99歳)の「メメント・モリ(死を想えというラテン語)」の本(海竜社・952円+税)を読むことはできるのではないでしょうか。2009年12月に発刊されたものです。
その本の最初の引用として、11ページに次のような紹介がありました。「進行したガンや、手のつけようのない難病にかかったときに、生き延びることに限界がある中で、医療施設での看護や、在宅でのよきケアを受けながら、死の不安をなんとか克服し生涯を終えることができれば、たとえ、その過程には苦しく辛いことがあっても“終わりよければ全てよし(All’s well that well )”というシェイクスピアの劇のタイトルのような最期が迎えられましょう」。死を見つめ、今を生きることが、望ましい生き方であり、感謝して生涯を終えることができれば最高の死に方ができると説いておられました。
この本の意義を最近の日野原先生のビデオを紹介しながら、各地の講演会・交流会で10月にお話させて頂きます。
ウィリアム・シェイクスピア
しかし、「終わりよければ」よいのですが、そうなるかどうかは分かりません。死を見つめて生きるだけでは、そうなるとは言えません。「どう生きるか」という連続が大切であり、その結果によるものではないでしょうか。そこで、かねてから引用・紹介してきたダイアー博士の著書も紹介することにしました。その表紙も掲載しました。これもなかなか素晴らしい本です。その本の中味の紹介も各地の講演で同時に行います。
この博士を紹介して下さったのは、神戸の浅野さんです。訳者の山川紘矢さん(喘大15期生)と奥様の亜希子さんを紹介して下さったのは尼崎の西村さんです。西村さんは毎年の関西交流会の講演レジメを作って下さっています。関西の人々との深い御縁が水脈のようにつながって、今号や各地の講演会へとつながりました。次頁に関東の人との深い古くて新しいつながりを紹介します。「人と人とのつながりを大切に」(矢原さんの言葉)してこそ、私たちのよい人生が生まれ、よき死に至るのではないでしょうか。
御縁やつながりを大切にしてこそ、生き生きとした成長が育ってきます。私も沢山の人と出会いましたが、交流が切れ御縁が切れた人とはやりとりができていません。講演会や交流会への参加、あるいは交流のやりとりが大切な源泉になると思います。しかし、それだけで「終わりよければ全てよし」というわけにはいきません。
そこで、そこに至る道として、「全力をあげて、後、よしとする」、「微力を尽くして、後、よしとする」、そういう積み重ねこそ大切であると思うようになりました。それでそれを今号の「テーマ」としました。
合同出版から出る予定の新著は、当初9月上旬発売の予定でした。私の原稿はとっくに送ってあるのですが、向こうの事情でかなり遅れています。「各地交流会にせめて間に合わさないと」と言っているのですが、私だけの努力で済むものではありません。大幅に遅れるという結果になるかもしれません。それにしても「全力をあげて、後、よしとする」と結論づけないことには、浮かばれません。人と人との関係を良好に保つには、それを受け入れることが必要です。
各地講演会と交流会も「参加予定人数が少ない」と心配されている所もあるようです。御縁がいろいろな事情で切れる、切るという問題が出た結果でしょうが、それも「全力をあげて、後、よしとする」ということで、肯定的に受け止めましょう。つながる御縁を今年も大切にしてこそ、日野原先生やダイアー博士の教えを自分たちのものとして獲得できるのです。最新・最良の喘息薬物療法、合併症に対する治療法なども学び、身につけることもできるのです。
一つ一つの出会いを大切にして生きてこそ、「終わりもよくなるし、全てよしになるのではないか」と本号では書かせて頂きました。
225. 「希望と団結を学んだ」
喘息をよくし治すために(225)
喘息大学学長 清水 巍
上記の言葉は今年10月14日の朝刊で報じられた「チリ人は希望と団結を学んだ」というチリのピリエラ大統領の演説からとったものです。チリ北部の鉱山落盤事故で、最初の作業員が地上に救出された時の演説でした。
「自分の政権浮揚に利用した」という批判もあるそうですが、大統領自らが何度も砂漠の中の現地に足を運び、リーダーシップをとった姿から、日本の歴代首相は謙虚に学んで欲しいと願います。暗いニュースが続く中で、久々に明るいニュースでした。モンテーニュ、シェイクスピアなど、フランス、イギリスの何百年も前の人の言葉も大事ですが、一挙に中南米まで飛び、わずか1ヶ月前に発せられた言葉に学ぶということも、いいものです。
地下の気温30度、湿度ほぼ100%、地下700mで33人が団結して生き延びました。それを励ましてカプセルを送り、全員を救出するまでの69日間の努力、地下と地上で努力をされた両方の方々に惜しみない拍手を送りたいと思います。
両者共々に団結が必要だったでありましょうが、両者に共通したのは「希望」です。希望
を団結することによって実現しました。これは「わかば会」の喘息治療にもあてはまることではないでしょうか。かつて喘息大学が隆盛を極めた頃ほど、喘息の苦しさは無くなり、コントロールされるような時代に入りました。しかし問題は解決し、喘息に苦しむということは無くなったのでしょうか。まだまだ良好なコントロールが得られていないという人もいます。よい治療法を知らず昔の治療法を続けているという人もいます。喘息の合併症、好酸球性副鼻腔炎で匂いがしない、好酸球性中耳炎で難聴、チャーグストラウス症候群や好酸球性胃腸炎、心膜炎(24頁参照)という人もいます。
例を2つあげてみましょう。昔は自分の飲んでいる薬の名前、効果、副作用が分からず、喘息大学に持ってきて初めて知るという人が沢山いました。今は薬局で写真入りの解説の紙をくれます。しかし、自分のもらった薬と紙が全てと思う人が多く、他にどんなものがあるのか知らない人が殆どです。アドエア250で声嗄れが出ると「これは私には合わない」と100を試すことなど思いもよりません。効かなかったという人は500の製剤を試してみることなど思いもよらず「アドエアは私に合わない」と結論を出すのです。昔よりましになったけど、「まだ不十分な知識しかない」という現状は、根本的には違いがないのです。先日、「メプチンエアーを3本出して下さい」という人が外来に来ました。私の外来を受診せず過ごしてきた人でした。合剤やステロイド吸入の効果を話し、「あなたの治療法は1980年代か90年代の治療法で、それを使わなくてもよいように過ごすのが現代の治療法です」と解説しました。城北診にもそんな人がいたのです。
そういう人を「カプセルに入れて、1人1人救出したり、もっとよい地上での生活を行えるようにする」ことが、わかば会や各地の喘息患者会の努めではないでしょうか。「救出のカプセルなんかに入らない。よけいなお世話だ」と思う人が多いという現状はあります。関東交流会で当初18人の個別相談予定が25人となりました。それぞれの人と話し合ってみると、もう1ランク上に改善できるアドバイスが可能でした。大東京、大関東にいる熱心な患者さんでさえ、そうでした。
関東、関西、東海、そして石川での新患学習会(62名参加)は、チリでの救出劇と一緒のことではないでしょうか。切実さの違いはありますが、多くの人の善意と努力に支えられた貴重な取り組みです。HPの掲示板での関東・関西の感想書き込みを来月号の「わかば」で紹介させて頂きます。チリでの救出劇と同じように貴重な取り組みであったと私は思いました。
昨年の7月、8月には新型インフルエンザが猛威をふるいました。喘息患者さんは戦々恐々であったことを思い出します。今年のインフルエンザワクチンは季節性のA型とB型、及び新型インフルエンザワクチン3種の入っている国産の3価ワクチンが主流です(6頁参照)。他に、新型ワクチンのみ、外国産のもの、妊婦用のもの、合計4種があります。国産の3価ワクチンは全国的には3600円ですが、城北関係では普通の人は3000円です。2週間目くらいから効果が出て、約5ヶ月間有効です。予約は今のところ必要ではありませんが、流行しだすと一気に無くなるのが日本の特徴です。禁煙する人がタバコ値上げで多くなり、ニコチンパッチなど禁煙補助薬品は欠乏して、目下使えません。
新型インフルエンザは何時、はやり出すか分からないのですが、季節性インフルエンザが流行しだしたというニュースが流れたら早めに受けることをお勧めします。肺炎球菌のワクチンもお勧めしておきます。5年後の再接種も可能となりました。
今夏の猛暑で来年の杉花粉は5倍~10倍多く飛ぶと言われています。前代未聞の杉花粉症激増、パニックが予想されます。減感作療法の早期開始も必要です。この会報「わかば」や「わかば会」が皆様のお力により、チリのカプセルのような役目を果たすことを願って書きました。
226. 「全員の力で」
喘息をよくし治すために(226)
喘息大学学長 清水 巍
いよいよ今年も最後の年を迎えました。各国のことわざや名言を紹介し、考えてきました。最後の月くらいは「日本の名言」で終わりたいと思っていました。
あまり見たこともなかったのですが「世界女子バレーボール選手権」の日本チームの初戦を見たことがキッカケとなって、全試合を録画もして見ることになってしまいました。いわゆる「ハマッてしまった」のです。見た人も多かったのではないでしょうか。
木村、石田、荒木選手らの活躍はもちろんですが、背の低いセッターの竹下、実によく拾った佐野選手などの努力には目を見張るものがありました。真鍋監督の「全員バレー」という精神をチームが一体となって実現したのです。一生懸命な姿は私には美しく見えました。金メダルではなく銅メダルですけども「よくやった」と拍手を送ります。このような精神と努力は「わかば会」も学び実現していく必要があるのではないでしょうか。そういう意味で「全員の力で」という言葉を今月号で選びました。
笑顔で銅メダルをかざす日本選手たち
14日、東京・国立代々木競技場
(北國新聞より)
この1年を振り返ってみますと、西野先生やデーケンン先生をお迎えした第9回成人喘息ゼミナール、「生と死を考える講演会」の成功、第35回小児喘息サマーキャンプ、関東、関西交流会、石川で開催された62名参加の新患学習会・「第18回喘息デー・喘息克服月間」の成功など全員の力に支えられてやってくることができました。何よりも新薬の紹介を含めた26ページの会報を毎月発行することができ、皆様の喘息や合併症の改善に役立つことができたと思います。会員による「全員バレー」です。
暮れ近くになりますと「身近な人が亡くなられたということで、年賀状欠礼のハガキ」が届くようになります。その中の3通を紹介します。「長年の重くて、ひどい喘息が喘息大学とわかば会の力で改善しました。主人は亡くなる直前まで、わかばが届くのを楽しみしていました。わが子や孫から来るたよりと同じように、隅から隅まで読んでいました」。「最後は私の腕の中で安らかに息を引き取りました」。「人生の後半は皆様と家族のおかげで幸せでした。有難うございました」というものでした。このような会員とご家族を生むことができたのも、皆様のお力があればこそです。御家族も含めた「全員バレー」ですね。
3つ目として、「ようやく新著が発行できるようになった」ことを挙げたいと思います。表紙に飾らせて頂きました。9月上旬刊行予定が12月中旬になってしまいました。グリーンや青を基調とした表紙の中にクリーム色のバラが10輪花開いています。中身を読んで頂くと分かりますが、合同出版、ライフサイエンス出版社、多くの製薬会社、宮本昭正先生や増山敬祐先生(山梨大耳鼻咽喉科教授)の御協力の賜物です。この場を借りつつ御礼を申し上げる次第です。消費税を入れてオールカラーの本が1,000円でできることになりました。安くしたため字が小さめなのが唯一欠点ですが、文字通り喘息の現在までの新薬と合併症のクスリという点は画期的です。しかし、買って下さる人がいないことには出版社が困ります。長年の「わかば会員」がいればこそと、信頼されての出版です。どうぞ皆様方にご利用して頂くと共に、多くの喘息患者さんに紹介して頂けると嬉しいです。
先日、茨城の図書館から「その本を図書館に置いてほしい」と要望があったのですが、という電話がありました。このような普及の仕方は人助けになるでありましょう。会員、御家族、回りの方々の協力も得てこそ、「全員バレー」「全員わかば会」が実現するのです。
全員の力があればこそ、という例を3つ挙げましたが、今年を無事に終えることができるのも、会員の皆様のおかげです。今年中になんとか1000名以上の会員数を達成し、よりよい来年を迎えてまいりましょう。
3ページ目にクリスマスプレゼントの案内を載せました。新入会員、現会員全員にチャンスがあります。よいお年を。