行動医学 -第11話から第20話-

11 心の影響のしかた

行動医学(11)
喘息大学学長 清水 巍

 最初に出会った喘息の患者さんはNさんでしたが、心が喘息発作と結びつくのを典型的に教えてくれたのはTさんでした。Tさんは京都の大学へ行っているという女子大生でした。うら若き女性の主治医となったわけです。入院してきたのは、昭和45年頃の夏休みだったと思います。彼女は金沢に帰省中だったのです。
 京都の大学に合格し、金沢を離れてから喘息はよくなったこと、金沢にいる間中学・高校時代は強い発作が時々起ったことをつまつまと話してくれました。当時、喘息の本を読んではアレルギーで喘息が起るとか、カゼや感冒が原因で喘息が起ると書いてありましたから、北陸で喘息が起るとすればカビが原因か湿気が悪いのか、両方かなどと考えながら、彼女の顔をながめながら、フンフンと話を聞き、カルテに病歴を記載していました。「それであなたのお母さんは?おばあさんは?」と家族歴を聞きだした時、一瞬、たじろぎが見られました。「元気です。」と言いながら何故か口ごもるのです。何かあるの?と聞いて、私は唖然としたのです。
 「先生、私の喘息は私が原因を一番よく知っています。しゅうと(父親の母親)がお母さんに意地わるし、いじめるんです。それを母親が耐えるのを見ると、私は悔やしくなって、それで喘息が起きるんです。」と涙を浮かべて語り出しました。「子供の頃の喘息も、中学・高校の喘息もみんなそうなの?」「そうです。全部です。京都の大学へ行って親元から離れ、そういう光景を思い出さなくなって、始めて治ったんです。」「今後、金沢に帰省して発作を起こしたのは・・・?」「まだ祖母が母を苛(いじ)めているのを見たので・・・」「で、あなたは抗議しないの?」「ええ、私は何も言えない」「それで喘息発作になっちゃうんだね」「・・・・・」
 こういう会話が続きました。何と“祖母に対する抗議”として喘息発作が起っていたのです。その抗議を口に出して言えない感情、興奮が屈折して、喘息発作となって爆発していたというわけです。そんなにモロに感情の起伏が喘息と結びつくのだろうか―。この症例は典型的なんだなと、私は胸に刻みつけました。抗議を口に出すように、もう大学生なんだからという指導と、もう京都に好きな彼氏がいるし、ということで、以来、発作を起こす姿は見なくなりました。
 このTさんが、次に何か感情問題にぶつかると、どうなるんでしょう。

12 感情問題

行動医学(12)
喘息大学学長 清水 巍

 Tさんからの小児期からの喘息の発作が「しゅうと母親の葛藤」に心を痛めて起こったこと、そういう意味では典型的な心因性喘息と感じられた最初の例だと、お話しをしました。
 抗議を口に出すか、京都に好きな彼氏がいるし次第に忘れるか、によって発作が出なくなりました。彼女自身の少女から一人の女性としての成長が、高い所から問題を見れるようにしたことも、発作に結びつかぬようになった背景にあったことでしょう。どうしてよいのかわからない。感情を表現し、ぶつけることができない、→それそのものが内向すると、どこかへの噴出の吐け口を求めて爆発します。
 ある人はヒステリーとして、茶碗を投げ、怒りを発散するでしょう。胃の粘膜にすぐ影響のある人は、胃炎や胃潰瘍になるでしょう。血圧の高くなっている人は高血圧がひどくなり脳卒中発作や、心筋梗塞を起こすかもしれません。この間のことは名畑勝治さんも患者の立場から「喘息は治る」の手記に書いておられました。気管支喘息の人は感情問題がうつ積しただけで、喘息発作となって噴出が起こってきます。その典型的なのはTさんでしたが、全ての喘息の人の、全ての喘息発作が感情問題に起因するわけではありません。感情問題やストレスの蓄積、それのみでも、自律神経を介して発作の一因になり得ることを、今、話しているのです。身体の弱いところ過敏なところと言ってもいいかもしれませんが、そこに、たびたび影響が出てきます。水道管に圧力が高まると、弱いところから水が噴出するのと同じです。
 そうすると、感情問題やストレスが貯った場合、3つの解決方法が考えられます。
 ① 感情問題やストレスの原因、そのものを取り除くこと
 ② うまく別の方へ発散し、処理すること
 ③ 自分自身を強靭にし、耐えれるようにすること
 以上です。
 ところが、心因の影響が根強くある喘息の人は、次のような特徴をもっています。
 第一に、感情問題や精神的ストレスが、自分の喘息に関係があるとは思ってもみません。他人事だとし、認めようとしません。
 第二に、外面はとってもおとなしく、表面をつくろうが、内面では敵愾心、増悪心が強い。
 第三に、ストレスの解消が下手で、同じところをグルグル回っている。脱出する試みが下手くそ。
 Tさんは、一病息災というか、この入院を機に、他の感情問題がぶつかった時に、口に出して言うこと、相談することにしたから、元気に過すことができたと後日、語ってくれました。一を知って十を知ったといえましょう。

13 死なぬと解決しないか

行動医学(13)
喘息大学学長 清水 巍

 見も知らぬ方から先日、一通のお手紙を戴きました。女性セブンの記事を読んで石川県喘息友の会の会員になったというお方でした。大阪の船場という表現もありましたので、ああ“山崎豊子のぼんち”のとこかと、イメージをふくらませることができました。
 「始めておたよりを差し上げます不躾をお許し下さいませ。心の影響シリーズ40号のTさんの記事(姑が母を苛め、それに対する抗議として喘息が起った)を読み、ハッと気がつくことがありました・・・・中略・・・・
 私の母親は船場の呉服問屋に後妻として入りました。父が亡くなった後、遺産の分配の問題がおきましたが、母は、父と同じ墓に入れればあとは何もいらぬと、先妻との間にできた義兄(私とはかなり年の隔たりがあるのですが)に、全て譲りました。その義兄に嫁がきてからです。母の悲劇が始まったのは。店を切り盛りし財をなす功あった母が粗末な部屋に住まわされ、食べ物も違うということになったのです。母は何も言いませんでした。その頃のことが、どうしてそうなるのか、小娘の私には分かりませんでした。しかし、今亡くなった母が何故耐えたのかを思うと、涙が溢れてきてとまりません。Tさんの場合、姑が母をでしたが、私の場合、嫁が母を苛めるでした。Tさんも私も心を痛めて育ったと思います。私は、そういう理不尽さを何とか跳ねのけたいと生きてきました。
 結婚も色々な話がありましたが、暖かな家庭が築ければと、ある商社のサラリーマンと結婚しました。主人は三男でしたが、長兄が事業に失敗し、次男が交通事故で亡くなったということで、主人が母をひきとりました。他に姉が2人、妹が1人いて、それぞれ嫁いでいましたが、母の面倒をみると口に出す人はいません。私は誠意を尽くしてきましたし、姑も亡くなる時、感謝の言葉を述べてくれました。でも、小姑たちの私に対する感謝はなく、批難の合唱は止むことがありませんでした・・・後略」
 麗筆な文字で綴られる告白の手紙は、多くの戦後の女性が歩んだ生きざま、そのものです。その記憶の克明さ、論理把握の緻密さは舌を巻く程であり、この方が女の世界(家庭・家族関係)ではなく、男の世界(経済や政治等)に生きたなら、世界を変え、財を築くも容易であったろうと思いました。女の世界(家族関係のしがらみ)、それは、ほどこうとすると、ますます混んがらがり、結び目が固くなるモツレ糸のような世界でした。そうこうしているうちに喘息がひどくなったということでした。
 それが生家のあに嫁の病死をキッカケによくなったと手紙は続くのです。「これで生家とのつらい思いが断ち切れる、あに嫁も仏になったと思うと、胸のつかえがとれ、痰が出なくなりました。不思議なことです。」葛藤の対象が死んで始めて救われる。人と人との関係の重さが痛感されました。
 私はこの会員さんにこの紙上を借りて返事を送りたいと思います。
 “過去を整理され、前向きに生きていこうと決意されたことに敬意を表します。ダラダラとしているのではないかと案じていたこのシリーズが、意外なところで役に立ったのか分かり、率直に嬉しいと感じました。また、他の方にも類似体験があるかもしれぬので、このシリーズで紹介をさせてほしいとの厚かましいお願いを、会員のためになるのでしたら・・・との一言、感謝に耐えません。
 あなたは過去を解剖し、吐き出しました。あに嫁の死をキッカケに、問題の所在が分り、許すことによって自分が救われたのです。しかし、なお小姑の3人が死なないと喘息は完治しないのでしょうか。そうではありませんね。許すことによって自分が良くなるのです。過去の詮索はいくらやってもキリありませんねというあなたの言葉、それが大事です。過去は忘れ、現在にうちこみ、少なくなった今からの時間こそ、自分のため他人のために尽す。これができれば、あなたの喘息は完治するのではないでしょうか。

14 スポーツの効用

行動医学(14)
喘息大学学長 清水 巍

 紙上での返事(わかば11月号「心の影響シリーズ」参照)に対し、「・・・前略・・・ご多忙中にもかかわりませず、御手数おかけ申し上げすみませんでした。お陰様でありがとうございました。・・・後略」という礼状の絵葉書をいただきました。その絵葉書は、六甲スキー場のもので頂上から鮮やかなシュプールを描きながら滑降する一人のスキーヤーを写しだしていました。

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 スキーは、喘息の治療にもよいスポーツです。スキーやテニス、水泳などを継続したら、あれほどしつこく、朝や夜、時には日中も起きた発作が出なくなったと証言する会員さんがいます。何故でしょうか。スポーツは人間の身体を鍛え、肺機能を鍛え、皮膚や内臓諸器官の新陳代謝を活発にしますが、その肉体に与える効果だけでなく、心理的効果を無視できません。ストレスに満ちた人間関係や社会的責務を忘れ、スポーツの世界に熱中できるからです。しばしの集中と解放は、傷ついた自律神経機能を回復させ、あたかも自分の人生や生活を意のままにコントロールしているような心理的効果を与えるのです。適度なスポーツは、疲れた身体や神経の疲労を修得させる効用があるし、喘息にもよいのではないでしょうか。
 犬のたとえを出すのは恐縮ですが、散歩させたり運動させないと機嫌が悪くなるし、人間でもよく、「健康な身体に健全な心が宿る」とか「スポーツマンに悪い人はいない、カラッとしている」とか「小児喘息は水泳でよくなる」とか効用が説かれています。行動医学から見ると、鍛練やスポーツは、心への悪影響を打消していく。黒板フキみたいな作用があります。ピアノや謡曲、民謡など文化的活動、手芸や絵画、盆栽など趣味的活動も似たような効果があります。
 礼状の絵葉書を手にとって眺めているうちに、スポーツの効用について、連想してしまいました。この写真のように、自由に滑り降りるようにこれからの人生を過していただきたいと願わずにはおれません。新雪をかきわけて滑降する一人の姿に、大阪の会員さん、私の出会った大事な石川県喘息友の会会員のみなさん一人一人の姿が二重写しになって見えてきてしかたありませんでした。

15 夫婦・親子の問題

行動医学(15)
喘息大学学長 清水 巍

 夫婦・親子に葛藤があると、深刻な成人喘息の原因となることがあります。これから幾例か紹介します。
 1984年の新年号は、昨年最後のわかば会の行事、会員研修会と忘年会の幹事として、感激的なシーンを演出してくださったM氏に感謝し、M氏の話で年頭を飾り、今年度の出発をしたいと思います。
 M氏もその渦中(夫婦・親子の葛藤)にあった方だと言ってよいでしょう。3才の時に小児喘息を発症し、母が看護婦の資格を持っていたため、手厚く加療・看護を受けました。立派に社会人となっても、喘息で苦しむ姿を他人に見られたくないとの念が強く、近医の許可を得て毎朝、ネオフィリンの静注を自宅で受けていました。結婚後も、妻に隠れてネオフィリンの静注を母にしてもらう習慣から抜けられず、一度、妻が入ってならぬその部屋のふすまを開けてしまい、異様な光景を見られてしまったそうです。
 近医は、「かわいそうやなあ、ぜんそくがひどくなって。治すために城北へ行け」と言いました。M氏は、「これまで先生にお世話になってきたんだもの。城北なんか行きません。先生に死に水をとってもらいます。」と語ったそうです。しかし、近医のI先生のキツイ指示と紹介で、M氏は城北病院に入院しました。
 ステロイドによるムーンフェイスの他に、右心不全のため顔面も下肢も浮腫気味であり、こんな重症の人が石川県にまだいたのか、とビックリしたほどです。M氏の経過は“喘息大学一期生の卒業論文集”66ページに詳しく書いてあります。希望の方はそこを参照してください。ご本人も膨大な“回想記”を書いているそうですが、やっと中学時代に入ったところですと、笑っておられました。
 M氏は、城北病院との出会い、喘息大学との出会いで、退院する時になお動脈血の酸素と炭酸ガスの値が逆転している程の重症にもかかわらず、ステロイドを減らし、毎朝の母の静注を中止することに成功しました。「自分は喘息だと妻にも回りの人にもあけっぴろげにしたら、長年の胸のつかえがとれた」と言うのです。

16 M氏から学ぶもの

行動医学(16)
喘息大学学長 清水 巍

 「先生、こんな奇妙なことってあるでしょうか。私は生まれ変ったのです。八月一日を機して、何十年と続けた毎朝の静注をピタッとやめれたのです。何ともありません。」15年間に、8,300錠のステロイド剤を内服して生きてきたけど、今はもう大丈夫だという氏の表情は、確信に満ちたものでした。

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 「41歳の男の喘息が全快し、その妻が今、感謝の気持ちをこめ、火をかかげて清水先生のローソクに火を点じます。」突然暗くなった宴席で、ローソクを持って歩みくる奥さんの目には、涙が光っていました。その火は、両隣の松田会長、元田副会長に移りい写真はつも“わかば”を編集し、執筆して下さる松永さんのところまで来たところです。
 拍手が巻き起こり、明りがつくと、感動の余韻が残っているのに、今度は、長男の御子息からの花束贈呈でした。
 思いもよらぬこんな感謝の儀式を受けたのは、始めてのことでした。宴が盛り上り、心ゆくまでの歓談が続いたのは言うまでもありません。宴の末席に座りながら、氏の司会を聞き“わかば会”の一行が楽しく交流する光景を見る。奥さんや御子息の胸中を察すると、熱いものがこみ上げてくるのを感じずにはおれませんでした。
 医療スタッフには、大きな桶2つに山盛りの寿司が夫婦から届けられました。二次会も終わり、スタッフは一同に会しながら“わかば会”の発展を喜び、医療従事者としての生甲斐や、寿司の美味(おい)しさをかみしめ遅くまで語り合いました。もうすっかり酔いが回り、アルコールにそう強くない私は、もうろうとしてしまい、「いったいMさんはどうしてこんなことができるんだろう。何を学べばよいのか、酔った僕には分からない」などと、くだくだしゃべりながら眠ってしまいました。
 翌日、能登の和倉温泉は一面の銀世界でした。能登島一周の後、“かき料理”に舌鼓を打ちました。私や医療スタッフだけでなく“わかば会”一行は、ここでもMさんご一家の暖かいもてなしを受けたのでした。民家の暖かい座敷で“かきずくし”の料理を腹いっぱい食べたのですが、寒い雪の降り積もった外でうちわをあおぎ、炭火を起こしてかき貝を七輪で焼いて下さったのは、割烹着を着たM氏のお母さんであり、奥さんであり、娘さんであり、息子さんであったのです。
 Mさんのご一家から、私たちは、一体、何を学んだらよいのでしょうか。

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(上の写真はM氏の息子さんから清水先生への花束贈呈)

17 家族と心

行動医学(17)
喘息大学学長 清水 巍

 能登縦貫道路は雪に埋まり、柴垣・千里浜方面の冬の海は、銅版のように鈍く太陽の光を跳ね返していました。今年の冬はどこも雪の話題に事欠かなかったようですが、北陸の雪のはしりは“わかば会の忘年会”の翌日であったようです。
 最後の一人の会員さんを家までお送りし、家に帰ったからにはもう医師ではない、などと責任の衣を脱ぎ捨て、風呂に入ってくつろぎました。「二日酔いはもう覚めたな、それにしても12年間、毎年泊まりこむで忘年会やってきたけど、悪くなった人は一人もいない、不思議なもんだ」などと忘年会を思い返しているうちに、アルキメデスじゃありませんが(風呂に入ってアルキメデスの原理を発見し、嬉しくなって裸で表にとび出したという逸話あり)、「アッ、分った」と思わず叫びたくなりました。湯舟につかりながら、気がついたのです。
 M氏から学ぶべきもの、それは何であるのか。私が気がついたのは一端かもしれませんが、「家族と共に生きる」ということでした。M氏はそれを実践で示しておられたのです。父親の席に座り、黙々とご飯を食べていた息子さんに対しては「よく見とけよ、お父さんが司会をし、感謝の言葉を述べながらお母さんと一緒にみなさんをお迎えしている姿を」、「今日あるのは、みな先生や医療スタッフ、患者さんの仲間があったからだ」、「父が育ったようにでなく、お前は今日の父の姿を見て立派に育つんだぞ」という吾が子に対する教育がつらぬかれていたのです。同時に病気に勝利した父の姿、息子の姿が示されていたのです。勝利の凱歌とみてよいかもしれません。しかし、それよりも何よりも「お前たち、家族のおかげでここまで来れたのだ。だから家族にも参加してもらって、一行を地元和倉温泉でおもてなしするのだ」という「家族と共に生きる」M氏の生きざまに学ぶべきなのだと、ハッと気がついた次第です。
 よくなった人を見ると、不思議と家族に対する感謝の言葉が多いようです。逆に家族内で不満や問題をかかえると、家族への感謝の言葉が少なくなり、喘息が悪化するようです。他人に振り降そうとする斧が、そのままはね返ってくるように、喘息が悪化するのです。家族や回りの人に感謝でつらぬかれていると、北風と太陽が旅人のマントを脱がす話にあるように、(この話はよく庄田富治さんが好んで引用されるのですが)回りの人も暖かく接するようになり、喘息も鎮まるようです。どこかへ行ってしまうのでしょうか。でも、これは「にわとりが先か、卵が先か」の問題かもしれません。よくなりさえすれば、誰でもそうなるのか、そういう人がよくなるのか、それは、患者さんに解答を聞いてみたいと思います。
 行動医学の立場からみれば、心を開き、自分の内面を見つめ、自分の心の動きや考えを診察室で見せてくれる人は、心理的負担が軽くなっていくと断言します。心や内面や感情生活・家庭内のトラブルは医者とは関係ないとして「喘息が起った、また起った、どうしたわけかまた起った」と、「ズーズーいう胸を、身体を見せて他は見せる必要がない」、「身体だけ見せればよいし、あとは医者のクスリと腕次第」とか、「自分の生活への考察(それは仕事、家庭の内面生活、外面生活)や切り換え力が不足している人」に、改善が遅い傾向が見られるように思うのですが、どんなものでしょうか。
 M氏の喘息に家族内の葛藤があったのは事実のようです。「先生、母と妻の板ばさみの中でホトホト苦労したことがありました・・・『自分は喘息だ』と他人に言えて長年の胸のつかえがとれたのです。今からは流れに棹さして生きてみようと思います。」喘息との斗いに勝利し、ステロイドを全く切れたM氏は、喘息大学の卒業式の司会、進行を担当されることになりました。

18 家族を大切にしなければ

行動医学(18)
喘息大学学長 清水 巍

 今度の喘息大学交流会では始めての卒業生が出ます。4年間かかって始めての卒業生は喘息コンサルタントとして、この世に送り出されます。その中でもよくなった人たちの口からついつい出てくる言葉は、家族への感謝の言葉です。「家族ぐるみで患者が交流できるようにならないと、本当のつき合いとは言えない」と家族ぐるみの交流が始まりつつあるようです。
 喘息大学の影響が大阪の耳原病院に広がって、こんな話を聞きました。
 ”大学なんてすぐ作れないから、半年で卒業する喘息学校を作ったんです。毎月1回ずつ勉強会と体験交流会を開いて、ある時、父兄会をしたんですね。その時色々と家族の話が出た。するとある女の人が「お父ちゃん、こんな場でなんだけど、初めて言うけど私はそりゃあの時つらかったんだよ」と泣きながら、ビックリしているお父ちゃんを前にして話をしだしたのだそうです。黙ってそれを聞いていた隣の女の人がワッと泣き出してしまった。「あんたなんかまだいい。ちゃんとお父ちゃんが来てくれたじゃないか。私なんか、先生達が一生懸命になってくれてんだから出てよと頼んだのに、出てくれやしない」。あとは涙、涙になって色々話し合った。”
以来、本音が出て、患者会を作ろうという雰囲気になったということでした。
 石川県喘息友の会や喘息大学が飛び火してできた山梨県の息友会は、初めから患者と家族で会が構成されています。石川県喘息友の会も、もともと”家族を含めて構成される”となっているのですが、それは小児の場合だと狭く解釈されてきたキライがあるようです。自分の主治医は自分だとしても、自分だけでよくしたり、治らせるはずはないのですから、家族と一体となって喘息を克服することが重要です。
 喘息大学の第5回交流会は、山中温泉の山中町文化会館で卒業式、入学式が行なわれ、宿泊や分散会がその後、ホテル翠湖で行われると、会場変更になりましたが、そこで家族の会を結成しようとの動きがあると聞いています。家族で参加する人も多くなっているからでしょう。一歩前進ではないでしょうか。
 それにしても、第5期生(募集定員40名)70名以上がどうしても今期入学させて欲しいと頑張っているとか。第6期生への志願も出てきているとのこと。家族が来る、来ないにしろ、みんなが家族のためにも、良くなろうと必死なのではないでしょうか。家族の中の核心は、大阪の話にあるように”夫婦”です。

19 夫婦の間柄

行動医学(19)
喘息大学学長 清水 巍

 気管支喘息の発作と夫婦の間柄は意外と関係が深いようです。
 男性の場合は仕事との関係が深いのは当然ですが、家庭内にあって夫婦の間に葛藤があると、ストレスは増強され、発作と連ながります。
 女性の場合は家庭にあって、旦那を通して社会との連ががりを持つという場合も多く、悩みが発生するとおきなくてもよい発作が誘発されます。
 子どもの喘息の場合、親子関係が深く関係があるということは、よく知られているでしょう。
 子供と親の関係が、小児喘息と関係があるのなら(行動医学 8 転地療法の意味 にペアレントテクトミーについて紹介している)夫婦の間柄はもっと深く長いのですから、大人の喘息と関係が深くて不思議でありません。不思議なのは夫婦の間柄とか、SEXの問題などと喘息に関する著書や研究・論文が少ないことです。小児の喘息と親とについての研究や論文は山になる程あるのに、夫婦の間柄と成人喘息については少ないのです。何故でしょうか。医者が研究していないからでしょうか。
 10年以上に及ぶ学会への参加の中で、1度だけアレルギー学会で「SEXと喘息に関する調査」という報告を聞いたことがありました。会場からのひんしゅくをかって、その後、そういう発表をする人はいなくなりました。もっとも、SEX医学会という学会、雑誌では、研究されたり、発表されたりしているのかもしれませんが。
 それ程夫婦の問題、SEXの問題は闇の中に隠されているのです。プライバシーの問題として保護されているよい面は反面としてあります。その利点はあるにしても、悩みや問題が生じた時、容易には相談しにくい問題として、闇の中に隠される場合が多々あるのです。
 どうでしょう、子供の出来が悪い問題や困った問題、おじいちゃんやおばあちゃんの問題なら笑って相談できるのに、夫婦の間柄の場合はどうでしょう。建て前の話しと、心の中の思いが、他人の前ではもっとも食い違うのが、日常ではないでしょうか。
 夫婦の間の恥部や暗部はそう外に出せるものではありません。心が優しい人であればあるほど、なおさら自分でかかえることになります。
 フィクションとしての例を挙げながら、次からこの問題を考えてみたいと思います。 

20 SEXと喘息

行動医学(20)
喘息大学学長 清水 巍

 A氏は肺炎で入院しました。それまで、病気ひとつせず活躍してきたのに、中年でつまずいたのです。その後、気管支炎をくり返しとうとう喘息発作を起こすようになりました。夜、妻に背中をさすってもらい、一晩中、夜を明かすことが再々でした。A氏は中年であり社会的重積を担っていたので、それが果たせぬ焦りが喘息と関係したのかと思い、色々話し合ってみました。A氏は思わぬことを告白してくれました。肺炎で入院し、気管支炎をくり返しているうちに、自分の身体に自信を失い、夜、妻を喜ばすことができなくなってしまったというのです。
 SEXできなくなったという焦りが嵩じて喘息になったようだと言うのです。妻にスマンと思う気持ちや、男としての不甲斐なさを妻に告白できず、喘息発作で看病してもらうことになったというわけです。
 妻が心配そうに背をたたき、顔をのぞきこむ、その度にすまないと思う気持ちや、不能になってしまったという思いが交錯し、SEXのプレイが、喘息発作におき変わり、それはそれで愛情交換と確認の儀式として今日に至った、と語ってくれました。
 Bさんは、時々、重積発作で入院しました。昼間、工場へ行って働き、夕方帰ってくるとは、子供たちやしゅうとの洗濯物が山のように貯まっていたそうです。夕食を作り、明日の用意をし、クタクタになって眠ろうとすると、昼間ブラブラしている夫がしつこく求め、とてもじゃないが身体が持たない。異常なネチッこさ、時間が長い。病院へ逃避しないとやっていけない、と話してくれました。
 Cさんは時々、点滴に来る患者でした。喘息発作でフーフー言いながら、「先生、一つだけ教えて欲しい。私の夫は異常だ。夫に不満を持っている」と言うわけです。近所の奥さんとお茶飲み話や、友人たちとフトした機会の話し合いで「どの夫も毎晩の回数が、2回だとか3回、最低の人で2回だった。時間は数時間だというが、私の夫はもっと短い」
と真剣に悩んでいました。
 夫の浮気への心配が嵩じてなった。抗議でなったという人、私の場合は”復讐です”と断言する人、様々です。SEXの恐怖や不安疲労から発作になる人、発作が起っている時のつらいSEXに耐えさせられた思い。なじる言葉、冷たい態度、絶望感、そういうことに1度も悩んだことがないという人は一人もいないでありましょう。快感・安心と明日への活力であるべきSEXが、逆に傷つきあうものであるとしたら、副交感神経や自律神経が不安定になるのは当然のことです。悩みが悩みとして外に出されず、禁止の閂に閉じこめられたままであると自律神経の不安定さは増幅します。
 A氏もBさんも、Cさんも、こういう話に気付く前は、発作が起るとは「風邪をひきました」と語っていました。回りは勿論のこと本人自身も、そう固く信じて疑わなかったのです。

・思いきってフィクションで例をつくってみました。

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