行動医学 -第21話から第30話-

21 風邪について

行動医学(21)
喘息大学学長 清水 巍

 「風邪をひきました」。よく聞く言葉であり、便利な言葉です。都合が悪くなるとしょっ中、そう言いますし、年がら年中ひいているという人もいます。それ以上、詮索を受けなくて済むという約束ごとのようでもあります。日本人の言動、行動パターンとして同様のことは多々あります。「どこへお出かけですか」「え、ちょっとそこまで」とよく言います。「そこまでって、どこまでですか?」と詮索は普通しない約束になっています。「そこまでと言ったら、そこまでですよ」という答が予想されるからでありましょう。
 「風邪です」という場合、私は三つの場合があると考えています。第一は本物の風邪です。ウィルス感染によるものであり、他人にうつる可能性のあるものです。第二はアレルギー反応や自律神経の不安定にもとずく鼻炎、鼻咽腔喉の炎症、咳症状の悪化、喘息の増悪の場合です。これはカゼ症状を伴ったにしても、ウィルスによるものではありません。アレルギー反応を抑えたり、自律神経のバランスを回復すべくハリのある規則正しい生活や休養が必要な対策です。第三は心の悩みや怒り、憤りがたまりにたまって、出る咳や鼻症状、喘息発作の場合です。心因性のカゼと言ってもよいでしょう。
 カゼひいたという場合、この三つを区別して対策をとることが必要ではないでしょうか。第一のウィルスによるカゼ、第二のアレルギーや自律神経の不安定によるカゼ、第三の心因性のカゼ、これを区分して医師に申し出るようになれば、不必要な薬を飲まずに済むことになるのではないでしょうか。自分の身体や心に気づいていくということは重要なことです。十把ひとからげにして、年がら年中カゼだ、カゼをひいたという人は、分析をしたり、対策を立てるのが下手くそな人だと言えましょう。
 A氏もBさんも、Cさんも夫婦の関係で悩みごとがあって、そのために喘息発作が再々起っていたのですが、回りも本人も「カゼのためだ」と言い、そう思っていました。第三のカゼであったと言えましょう。カゼだと煙幕を張り、ウスウス気がついていたにしても、原因を認めようとしなかった間、喘息発作は頻発していました。悩みが悩みとして外に出されず、「カゼひいたんです」と自分をも胡魔化している間は治ることはありませんでした。しかし、①「悩みを他人に打明け」②「打明けて相談した」③「アドバイスを受け、自分も他人の頭を通じ客観的に考え始めた」それをキッカケとして④「前向きに問題解決をはかりだしたことによって、次第に気が楽になったようです。発作が減少し、やがて起らなくなりました。①から④までの過程を踏んだ人は、よくなりました。
 喘息大学第五回交流会では、日大心療内科の桂戴作教授の特別講演がありました。大変好評で、来年も呼んで欲しいという学生さえいました。桂先生は「喘息患者はネクラ的傾向がある。ネアカ的になっていけば必ずよくなる」と、笑いを誘いながら巧みに本質をついた話をされ、喝采を浴びました。ネクラになっていると、いつまでも問題が解決できず、喘息がよくならない。ネクラ病の最たるものに喘息がある―と断言されたのです。

21の2 風邪について(2)

 カゼをひいたという時、①ウィルスによる本物の風邪、②自律神経不安定によるカゼ症状、③心の悩みや怒りがたまって出てくる心因性の喘息をカゼをひいたと称している場合、の三つの場合があることをお話しました。①のウィルスによる風邪さえも、実はネクラだと再々襲ってくるという研究発表があるのです。
 昭和59年の日本胸部疾患学会(東京・京王プラザホテル)で、私の喘息大学の発表の6つ前には、国療南福岡病院と九州大学心療内科の共同発表で、成人の感染型喘息の背景には2つのタイプの原因が関係しているという報告がありました。国療南福岡病院(呼吸器の患者が入院する有名な病院の一つ)に長年入院していた、しょっちゅうカゼをひいては悪化する喘息の人23名を調べたのです。一つは不安を主とした神経症タイプ、もう一つは心の悩みや感情を処理できない心身症タイプだというのです。第一のタイプには“病態への理解を指導し、リラックスさせる自律訓練法で不安をコントロールできるようにしたところ”風邪をひかなくなり、発作がなくなったというのです。第二のタイプには“身体への気付き”を指導し、心や感情の緊張をとるようリラックスに成功したら、風邪をひかず発作が減少したというわけです。全員が退院できたし、このタイプ分類を早目に実施し、早目に対策をとることがより効果的だというのが結論でした。感染型喘息という心と関係なさそうな喘息の背景に不安や心因を処理しきれぬ“ネクラ的傾向”があるという指摘でした。感染は原因ではなく、結果だというわけです。
 金沢大学医学部第三内科にいた藤村先生と話をしていた時、「モルモットに喘息発作を起こす実験をやってるんですけど面白いんですよ。冷暖房付きコンクリートの立派な動物飼育舎にいるのはすぐ発作を起すんです。野ざらしに近い小屋で、時々エサをやるのも忘れられるモルモットには同じ卵白アルブミンの感作でも発作を起さないんです。」という話を聞いたことがありました。モルモットに心があるかないかは別として、自律神経や副腎皮質はあるのですから、その鍛えられ方によってストレスに耐えれるモルモットとそうでないのとが分れるのでしょう。動物実験による最も基本的な抗原・抗体反応によるアレルギー型・外因型喘息にも、身体、自律神経、副腎の鍛えられ方が関係するのです。では、無茶苦茶に野ざらしがよいか?そうではありません。エサもあたらず、雨、風にさらされっぱなしでは、カゼどころか肺炎になるでしょう。
 桂先生ご自身が赤痢になってしまった体験を「さらばネクラ病・ブレジデント社イルカの本・680円」の168ページに書いておられます。『同じ寿司を食って赤痢菌を他の四人も食った筈なのに、何時間も不愉快な思いをしていた自分だけが感染・発病し、かたや上機嫌、明るくいい気持ちの四人は平気の平左だった。この差が運命を分けたのだろう。
 不愉快な思いを長く持ち続けても、ろくなことはない。なるべくなら、不愉快に思うことは少なくし、明るく、調子のいい気持ちでいるように、コントロールしていくべきだ』と結んでおられます。
 ②、③のカゼが心と関係あるだけでなく、①の純粋な風邪さえも心の影響を受けることを述べました。同じ環境に住み、同じ空気を吸ってるのに、風邪をひく人とそうでない人が出る原因をよく考えてみるべきではないでしょうか。自分の場合分らないという人は、やはり、生活、身体、心への気付きが足りないのです。
 副腎皮質ホルモンやケナコルトのような月一回の注射に頼って生きている人は、やがては風邪をひきやすくなります。ひくとは大発作になる理由、そして更にステロイドが増える悪循環。
 その理由を、次回、考えてみましょう。

22.ステロイドの功罪

行動医学(22)
喘息大学学長 清水 巍

 副腎皮質ホルモン剤やケナコルト筋注は、確かによく効きます。2ヶ月や1ヶ月、全く何ともないという経験をします。もう治ったのではないかと錯覚される患者さんも多いようです。そういう注射やクスリをたくさん、いくらでも使ってくれる医者が名医だ―と患者が集まるという話を、秋田や埼玉の患者さんからよく聞きました。“へその緒(お)(胎盤埋没)”の効果や名声をあげるために混ぜていたという話や、最もよく効くと宣伝し、ハチミツ、民間薬の中に混ぜていたという話もありました。全部がそうだというのではなく、それほどに確実に卓効があるということです。
 では、どうして、それに依存していると風邪をひきやすくなるのでしょう。それは、喘息発作やストレスを抑える作用がありますが、白血球の好中球やリンパ球の『細菌やウィルスに対する働らき』を弱めたりして感染を起しやすくしてしまうからです。ベコタイドやアルデシンという吸入ステロイド剤は、全身への副作用はほとんどありませんが、やはり、風邪をひき易くさせる弱点があります。このように感染を起こし易くする性質を“易感染性”と言います。
 ステロイドに頼っていてカゼをひくと、どうでしょう。大丈夫と思っていたのに発作が起こります。その時、ステロイド剤に頼っていた人の副腎は、毎日々々外からホルモンを与えられていましたから、十分活躍をせず、使った分だけ萎縮していますので、自分の力では抑えきれません。従ってステロイド剤を増やしてもらって対応しなければなりません。依存性は増し、カゼも更にひき易くなり、副腎は更に萎縮します。これを“悪循環”と言わずして何と言えばよいでしょうか。気がついて(ステロイドを)切ろうと思うと、下手をすれば(勝手に減らすと)急死したり、大発作にぶつかります。
 日本の、重症・難治性喘息患者が、ステロイドのベールに覆い隠されていると言っても過言ではありません。特に成人の場合は、仕事や家庭の維持のため、悪いと分っていても、ついつい頼りがちです。プレドニゾロンやステロイドの錠剤の1錠が、成人の1日分の副腎皮質ホルモン分泌量に匹敵します。ですから、1錠飲んでれば2人分で喘息とたたかい、2錠飲んでれば3人分でまかなってるわけです。ケナコルトは効いている間、ひと月でもふた月でも副腎のはたらきを抑制し続けます。24時間×何日というように持続的に抑制します。その点、系口薬や点滴、静注の場合は、翌日は排泄されますから、補わない限り、自分の副腎がはたらかされていることになります。毎日、定期的に補ってしまえば、ケナコルトも同じとなりますが。
 よし分かった。やめた、漢方薬だ、民間薬だ、何も飲まなきゃいいだろう。―そういう短絡はチョット待ってください。今まで、大丈夫生きて来たのです。気がつけば大丈夫です。あとは慎重に主治医と相談し、油汗をたらしながら、減量を徐々に徐々に図ればよいのです。安易に中止するのは危険です。ステロイドに依存してしまっている人は、もともと安易だったのです。急にいやになって中止する、またまたの安易さは慎んでください。急死や大発作の危険があるのです。
 1錠や1/2錠なら一生飲んでもそう副作用もないとも言われています。2錠以上やケナコルト毎月というのはやめて、せめて1錠、ないし1/2錠、できれば発作の時だけというようにしたいものです。2年、3年かけても中止できれば、“御の字”です。ケナコルト毎月7年、しまいに月2回という人も当院に入院、切ることに成功して帰りました。
 かつて、ステロイドは喘息の特効薬として、喘息患者の苦しみを救いました。喘息死の死亡率も減らすことに多大の功績を残しました。今も、重症の発作や、重積(じゅうせき)発作には必須の薬剤ですし、上手に使えばこんな重宝な特効薬はありません。しかし、安易にそれに頼った結果、①心理的に依存、②副腎が萎縮してしまうため肉体的にも依存という、2つの問題が出てきました。喘息治療で有名な群馬大学の小林節雄教授は最近の気管支喘息シンポジュウムで、こう語っています。「ステロイド依存症の患者を10年ほど経過を調べた経験では、そのうち1/3ぐらいが発作死をしたという結果を得ました」(メディカルトリビューン、1984年4月19日)
錠剤で言えば2錠以上、毎日ステロイドのたくさん入った点滴をしたり、毎月ケナコルトを注射していた人を依存症というのでしょうが、ショッキングな報告です。次回は、どう離脱したり、減らせばよいかについてです。

23 依存症からの脱却

行動医学(23)
喘息大学学長 清水 巍

 ステロイド、副腎皮質ホルモン依存性喘息は、成人喘息のかなりの部分を占めています。プレドニンの錠剤を今なお2~6錠毎日飲んでる?飲まされている?患者は、全国的には多数います。ケナコルトを2ヶ月に1回ないし、月1回しては生活している患者も多数にのぼります。
 石川県ではどうでしょう。10年前には確かに6~8錠飲まないと治らないという豪傑?がいました。胃潰瘍や胃炎での吐血をくり返しながら、一人また一人とステロイドを沢山くれる医院に転医し、この世を去っていきました。闇に消えるがごとく、骨も残さず、灰のみ残して昇天して行った話を聞きました。ピンクになった骨をわずかに残したという風聞も聞きました。しかし、能登のステロイドを無制限にくれた某医が他界したのを最後に、ケナコルトを毎月射ったり、プレドニンを2錠以上出す医者は、石川県にはいなくなったでありましょう。あるとすれば、私どもの知らない一、二軒が残っているという程度でありましょう。薬局から横流しという明白な薬事法違反は別として。
 全国と石川県の差はどこからくるのでしょうか。石川県の呼吸器や喘息の専門医は、喘息は治り得ると考えています。ステロイド漬けにすることは治らぬようにしてしまうことだということを承知しています。一方、全国のステロイドを沢山出す先生は、経験的に「どうしたって成人喘息は治らない」と思ってしまっています。医師がステロイド依存症となって治療しているのです。
 そういうステロイド依存医、(勿論、発作時にくれたり、点滴や静注に入れる場合は別として)からの脱却を試みるか、話し合いで減量を申し出ることが、まず第一歩です。ステロイド信奉医ではあっても、両刃の剣としての害を知っています。しかし、そんなことを語っていたら、困るのは患者だと考えているわけです。患者のために・・・と出し続けます。患者も、仕方ない有難いと依存してしまったら、両者とも行くところまで行かぬとしようがないわけです。
 では、必死の覚悟と対策をとれば、減量と離脱は可能でしょうか。可能です。例を一、二挙げてみましょう。
 喘息大学Ⅰ期生の卒業論文集に、喜多正樹さんの手記(P11~「ぜん息を友として」)があります。入学式の時、結婚で奥さんを伴って来られました。城北病院に入院し、精査した結果ハウスダストと小麦でRAST(ラスト)がスコアが高く、インタールの使用、減感作、スポーツ、鍛錬、理学療法(腹式呼吸、喘息体操、排痰)をすすめました。喜多さんは、「清水先生はアレルギーに片寄りすぎている(事実、当時、片寄っていたのですが)。自分は、久徳重盛先生の総合療法じゃないと治らないのではないか。」と語りました。私は、四国へ帰ってまずやってみるよう勧めました。
 翌年の交流会に、彼は真っ黒に日焼けした元気な顔を見せ、「先生、ケナコルトが切れた。」と語ってくれただけでなく「テニスを毎日やっている」と笑顔で語ってくれました。
 喘息克服の課程と、ステロイド離脱の目標を達成して、卒業式に四国から参加し、証書とコンサルタント手帳を持って帰った彼に、心の中で拍手を送ったのは私ばかりではなかったでしょう。
 同じく卒業論文集の島沢博さん(P19「私と喘息大学」)も、「ケナーがどうしても切れぬ」と語っていたのに、今やスとも縁がなくなり、筋骨隆々となりました。今のところ、来た人達がみな優秀であったためか、遠方から来た人は全員、ケナコルトを切り、ステロイドを離脱するか、減量して帰りました。全員、今もその道を走ってる筈です。
 この事実を強調する理由は“成せば成る、成さねば成らぬ”という古来の真理を、確信にして戴きたかったからです。
 三番目に、よりベターなものに依存を移し変えるということです。ステロイド以外のクスリに依存を移し、更にベターなよりよい安全で効果のあるものに変える。―やがて、鍛錬、運動をうまくやる方法を身につけ、それに依存し、薬物依存から脱却するのです。そして、最終的には自分の中に漲りくるちからに依存しきるということです。小児の喘息も親やクスリ依存から、成長する自分の力に目覚め、自分に依存(自立)できた時、治っています。依存性の改善と脱却こそ、ステロイド地獄から抜け出す道であり、全ての喘息の人の薬物依存からの抜け出す道であります。
 行動医学や行動療法は、悪い依存から無害で、よい依存、生活へと人間を導く学問でもあります。

24 ぜんそくからの脱出

行動医学(24)
喘息大学学長 清水 巍

 前回(わかば9月号)で悪い依存から、無害でよい依存へと行動療法や行動医学によって切り換えていくことが必要だと指摘しました。「それはそうだ、よく分る。しかし、よい依存へ切り換えようとしても、どうしても駄目なんです。頭では分るけど、身体がゆうことを聞かない」。そんな感想をお聞きしました。
 その通りなんです。もともと頭で分れば身体がゆうことをきいてくれる。そんな簡単なもんだったら世話はないのです。頭で分ってます。なんていう答えに満足しているから、いつまでも身体はどうにもならんのです。
 では、どうすればよいか。

g24

1.頭で分かるだけでなく、(新しい大脳、新皮質)上図の、岩見酉次郎先生がよく出される古い大脳(視床など白質)の部にも分らせていくこと、内臓をコントロールする間脳、視床下部や自律神経にも分らせていくようにする、ということです。
 人間にとって意識できないこの部分に働きかけていくルートは、頭から、心から、身体からと3つのルートがあるように私は思います。この3つのルートから視床下部や自律神経が安定するように、くり返し働きかけていくことによって気管の過敏さがとれ、発作が起こりにくくなるのです。
2.喘息は単に気管が悪いという病気ではなく、生い立ちと全生活の結果出てきたもの、と考えること。
 糖尿病にしたって、高血圧にしたって、素因をもとにしながらでも、食生活や生い立ち、全生活の総決算として出ているものに過ぎません。ましてや喘息は、その人の考え方や感じ方、心の歴史、心の問題と無関係ではありませんし、家庭内のイザコザ、職場でのストレス等と密接に結びついている病気です。
 糖尿病は血糖の病気、高血圧は血圧の病気、クスリのんでさえおれば、ということでは絶対に根治できません。発病に至った全生活と自分の歴史、考え方を洗い直し、神に誓うが如く、これまでの悪いところを悔い改め、180度生活を変える決心と実行によってよくなっていくのです。ましてや喘息は、自分のこれまでを反省したり、欠陥に気づき改めることなしに、克服は不可能です。難治性や重症の人、ステロイド依存組、点滴組はこういう事実を認めたがらないという点では共通をしています。“分ってるんだ、ホッといてくれ”という人と、“考えても分らない”という人の違いはありますが。
3.全身全霊で変革を
 頭、心、身体、それぞれの面からよいと思われる行動を起こしていくならば、やがて、よい相乗効果が出てくるでしょう。吾郷先生が指摘されるように、喘息の人は「頑張ります、きっと」と、いつも心の緊張が絶えない。その結果、喘息が克服できないでいる。もっとリラックスを!!と強調されています。そういう人は全身全霊をリラックスさせればよいのです。他人が悪い、あの人が悪いと恨みを抱いていては、他人に斧を降り下そうとして悩んでいるのであり、全身全霊が恨み骨髄に達しているのです。他人に感謝できる骨髄を作るのを急がねばなりません。喘息に甘え、喘息があるから何々できないと考えてきた人は、自分の甘えに気付き、反省の行動を起こすべきでありましょう。
 時、あたかも、朝日新聞全国版で「喘息からの脱出」が9回シリーズにわたって掲載されました。8月号の行動医学に登場した群馬大学の小林教授、喘息大学の小紹介、吾郷助教授のお話もありました。脱出への糸口がいくつも示されていました。10回目のシリーズを追加したくなり、「ぜんそくからの脱出」と銘打って書いてみました。結局は拙文。ゆえに、また、学長自らが悪いため、みんながよくならないのだと、反省せねばなりません。

 どうすればよい依存に切り変わるかを、私なりに書いてみましたが、悪い依存、喘息に依存せざるを得ない患者さん側の事情についてもう少し分析を加える必要がありそうです。最も極端な例をあげてみましょう。水に溺れた場合です。溺れる者はワラをも掴むという状態では、長ったらしい講釈などは聞く耳がないのは理の当然です。そういう事態に陥ち入ってしまったと考えている人の例から、次回より考えてみましょう。芥川龍之介の小説「蜘蛛の糸」の主人公に似ているかもしれません。

25.一本の蜘蛛の糸

行動医学(25)
喘息大学学長 清水 巍

 水に溺れたり、蟻(あり)地獄に落ちたように、もがいてももがいてもどうにもならず、喘息地獄に溺れている。しまいにはそれが、“あたりまえ”になったりすれば、聞く耳がないのが当然です。いっくら行動医学で呼びかけても、今日は昨日の如く明日も昨日の如くで、ちっとも行動に変化が出てこないのです。
 芥川龍之介の小説に“蜘蛛の糸”という作品があります。まず、その主人公を見てみましょう。あまりにも有名だから、皆さん御存知でしょう。
 「カンダダという悪人が、地獄の血の池で溺れ苦しんでいると、以前に助けた蜘蛛の糸が降りてきた。これを登っていけば、もう針の山へ追い上げられることもなくなるし、血の池に沈められることもない。うまくいくと極楽へはいることも出来る。と、よじ登っていってフト下を見ると、数限りもない罪人たちが蟻の行列のように登ってくる。今のうちにどうかしなければ、糸はまん中から切れて元の地獄に落ちかねない。そこで、カンダダは『こら、罪人ども、この蜘蛛の糸は己(おれ)のものだぞ、誰に尋(き)いて、登ってきた。下りろ、下りろ』と喚(わめ)くと、糸がプッツリと上から切れて、まっさかさまに落ちてしまった。」という物語です。
 古今東西の人間の罪深い心理を表現したものらしく、原典はインドなのでしょうが、アメリカのシカゴの作家がこれを作品化し、トルストイもロシア語に翻訳し、芥川が日本で作品にしました。ロシアの民話にもこれと同じ話があり、ドストエフスキーの“カラマーゾフの兄弟”第七編にも出てきます。
 人間の心理として、あなたならどうするでしょう。カンダダの気持ちが分かりますか。そう、それが人間だと言っている間は喘息は根治しないのです。喘息地獄から抜け出すことは難しいのです。しかし、ここで私ならこうしたのにと正解をすぐ断言できる人は、絶対に治るんです。
 自分ひとりだけよい目にあおうとするエゴイズムが結局は自分をも他人をも破滅させる―自己一身の幸福を願い始めた途端、破滅の底に落ちていったのであります。では、どうすればよかったのでしょう。そんなに細い蜘蛛の糸、自分が助けた蜘蛛の糸でも、自分が助かり、他の罪人も助かればよいと、懸命に登っていけばよかったのです。切れて元々、我(が)を捨てればよかったのです。そういう答え、ここを読む前に出せましたか。
 折りしも、若葉会10周年記念誌が美しい”わかば”という題字の表紙のもとに、236ページの本となり、出版されました。この行動医学も(1)から集録されています。”喘息患者会”や、あたたかい黄色の表紙の10周年記念誌は、極楽に通ずる”1本の蜘蛛の糸”だと思います。
 医療スタッフも、患者さんも、共に登る蜘蛛の糸は細くて頼りがなく切れそうだけど、力を合わせて引いては登り、助け合っては登ると、不思議に強くなり、美しくなる不思議な糸なのです。人間の善意が行動となって、正義の尊い道を歩もうとする、まじめな願いは奇蹟的な力を生み出すのです。決して聖人君子になる必要はありません。人間の悪い面を反省し、よい面の重ね合いが必要です。10周年の記念式典とレセプションは、たくさんの人を集め、そのことが確認された日でした。
 シカゴの作家は「地獄とは何だろう。それは利己心(エゴイズム)に外ならず、涅槃(ねはん)は公正な生活である。」と注釈をつけ、トルストイは「生命を捨てるものが生命を得る」とつけ加えています。私も、「自らが助かり、喘息患者さんをも助けようと10数年努力してきて、ようやく芥川のカンダタを理解し、批判できる」ようになったようです。
 溺れる者はワラをもつかむ、ワラばかりでは浮かばれません。蜘蛛の糸はブラ下がっています。それを登ればよいのです。どうして切れるかって?やはりカンダタのような心のせいではないでしょうか、切れる場合は。しかし、石川県喘息友の会(わかば会)の会員さんは、みんなで蜘蛛の糸を登っているのです。大丈夫切れません。みんなで善意を行動にし、助け合って登ろうとすれば切れません。せっせと登っている際中に過ぎません。
 しかし、こんな苦しみ、誰も分ってくれないんだ。こんなに苦労してきたんだから、少々、こんなこと言ったって、やったって、許されるんではないか。そう考えたり、それを口に出したりすると、また、自分の手のところから糸が切れて、血の池を何回でも、泳ぐことになります。そういう、いわば溺れてる喘息の例を次に見ることにしましょう。

26 溺れてる人

行動医学(26)
喘息大学学長 清水 巍

 Dさん(女性)は治りにくい成人喘息になったと診断されました。Dさんはいろいろな情報集めにとりかかりました。喘息にはどこの病院がよいか、どこの薬局がよいか、人々の噂を聞きました。F病院がよい、G先生がよいと、転々とし、三年程たつうちに、すっかり重症化してしまいました。
 クロモジの木がよい。クコがよい。青ガエル、ナメクジ、他人が一つで治ったなら、自分は二つも三つも合併してやるなら、二倍、三倍よくなるかもしれない。せめてどれか一つぐらい効くのにぶつかるだろうと、背筋の矯正、鍼、灸と幾つも併用してみました。顔つきが少し険しくなり、ちょっとしたことでカーッとするようになりました。元々、他人に悪口を言われているんじゃないか。誰々は自分勝手な人だ、あの人にはこんなに醜い問題点がある。あの人より自分はましな人間だなどと、評価を気にする性質(たち)だったDさんは焦り始めました。
 「他人に負けたくない」「他人から後指(うしろゆび)をさされたり、悪い噂をされてるんじゃないか、畜生!悔しい」と腹ワタの煮えくりかえる思いがあったDさんは、喘息患者さんが沢山集まっている能登の某医でステロイドの錠剤をもらうようになりました。某先生は“名医”と評判の高い先生でしたが、2錠でも3錠でもステロイドをくれる先生でした。喘息になって四年目、やっと発作の間隔があくようになりました。「これで、ご近所の人や親戚の人に、みじめな思いをしなくても対等に付き合える」しめしめと思ったDさんは「もう喘息は治った」と宣言したのです。
 家族は、某医院のクスリをもらって飲んでるんだから、そんなこと言って回るなというのですが、「あんたたちに私の苦しかった思いが分ってたまるか、もうあの苦しい発作がでないから、クスリ飲んでても治ったも同然だ。ああ、スッキリした。」と主張しました。もともと頑固で、一度口を出すと後には引かないDさんの気性を家族は知っていますから、あきらめました。知人や近所の人に「おかげさまで、喘息が治った」と言って回りました。胸がスゥーッとして、「あの人はあんなことをしているから治らない」などと評論もつけ加え、痛快がっては帰ってきました。治ったという評論を聞きつけて、「どうして治ったのか教えて欲しい」と聞きに来る人がいます。説明に困ったDさんは、以前に飲んだことのある○○○○ゼリーのおかげでないかと思う、と言いました。近頃、そのゼリーを買いに来る人が増えたが、あんた本当にそれで治ったのかと薬局店主まで聞きに来ました。ガスネタを撒き散らして平気だったわけです。
 やがて某医院に行くのが具合悪くなりました。ベテランのある患者が「あんたの飲んでるのはステロイドだ。3錠も飲んでて治ったなんておかしい」と言うわけです。Dさんは、秘かに2錠に減らすとは前と同じように発作が起こりましたが、侮辱されたと思い「私はこれは抜いて飲んでいるんだ」と言いました。ピンときたベテランは容赦しません。カーッときたDさんは、某医院通院をやめ、城北病院にきました。
 以来、Dさんは城北に通院し、7年かかって徐々にステロイドを減量し、飲まなくてもよくなりました。しかし、時々ネオフィリンやステロイド入りの点滴を1、2本しないと治まらない発作が出て来ます。随分よくなったのですが、よくなったとは認めません。もう喘息、喘息で夜も日も明けぬこだわりです。彼女が生きているのか、喘息が生きているのか首をかしげたくなる程、考えていることは喘息のことばかり。また起こったらどうしようという不安にさいなまされているのです。
 喘息に溺れてる人と言っても過言ではありません。11月に入ってからのDさんの言語録を拾ってみましょう。「清水先生はこの頃、『心の旅路』とか『わかば』とか本を売りつけてばかりいる。もうけたいからじゃないか。あの患者が診察室に入るといつも長い。私なんか短いのに、あいつが入ると声まで親切になって。きっと私らのこと告げ口しとるんやろ。よくなった人には何か特別な薬を出してるに違いない。あいつのクスリを調べさしてもらわなくっちゃ。あの人には私は勝った。この頃、清水先生は心ばっかし強調している。面白くない。喘息大学コンサルタントだ1期生だといばりくさって、よくなったのは運がよかっただけじゃいや。なんや偉そうな。処置室の看護婦も差し入れする人にだけ親切にして、ホントにもう許せない・・・etc」と、点滴室で、待合室で、電話で、わずかこの1ヶ月にDさんが語ったとされる言語録はまだ続くのです。
 自分だけは何としてもよくなりたい。そのためには、他人にどう言おうと構っていられない。これは前号のカンダタの心と同じではないでしょうか。他人に負けたくないというのが生甲斐になっているのです。こういうひがみ、ねたみ、やっかみが口をついてでるのは、幼児期の兄弟姉妹葛藤を始めとした幼児期の心理・自分がよく思われたいだけの心理が卒業出来ていない人だと吾郷晋浩先生は指摘します。本人は気がついてないのです。大人になっても幼児期の心理でものを考えている―そんなことがあなたには信じられるでしょうか。

27 幼児期の葛藤

行動医学(27)
喘息大学学長 清水 巍

 大人になっても幼児期の心理でものを考える―そういうことは事実あるのです。身体は年々大きくなり、成長もし、子供や孫もできたりしますが、心や考え方は幼児期のものを引きずっている人は多く見られます。
 幼児期の心理を引きずって大人になるという場合、四つのタイプがあるようです。
 第一のタイプは、「自分の思うようにさせてくれないと気がすまない」というタイプです。
 Dさんもこのタイプでした。Dさんは3人姉妹の真ん中に生まれました。幼少時、姉と妹ばかりが父や母に可愛がられていると思って育ってきました。自分だけはよそからもらわれてきた子ではないか。捨て子だったのを拾われたのではないか、と思ったこともあり、姉や妹が死んでくれたら、自分はもっと可愛がってもらえるのではないか、と考えたこともありました。そういう考えは学校時代にも出ました。先生はあの子とあの子にばかり目をかけている。あの子とあの子がいなければこの世はどんなに楽しいか、そういう他罰的な心理を、病気になって病院へ来ても引きずっているわけです。自分の要求が満たされないと、実現されるまで、誰を困らせても実現してきました。他人の弱みや欠点を見つけるとトコトン追求し、いつも私は悪くないのだと、言明・証明していないと気の済まぬタイプです。自分はOK(良い)だけど他人はOKでない(悪い)という考え方の引きずりです。そのまま大人になってますから、心の安まる暇がないわけです。
 こういう心理状態では、たえず他人との葛藤があり、心が安まらず不安が心を支配し、喘息が起こり易くなるのは当然でしょう。
 第二のタイプは、「私は劣っている」という考えを引きずっている人です。「お前は何やってもダメだ」とか「しょうがない奴だ」と言われ育ってきた人に多く、「他人はよいけど自分はO・Kではない(良くない)」とか「スマない」と自分を責めては落ち込み、自分を責めることで償(つぐ)ないをしていると思っている人です。この幼児期の考え方を引きずっていても、矢張り自分は満足できぬわけですから、葛藤が起こり、発作となります。
 第三のタイプは、「自分もOKでないが、他人もOKでない」と考える人です。自分もOKでないんだから他人もOKでない。あるいは他人もOKでないかわりに自分もOKでない―一見、平等に取り扱っているようですが、人間性悪説を地でいくようなもので、救われぬ考え方です。
 第四のタイプは、「お利口タイプ」「偽(いつわ)りの自立」です。「お前はお利口だ、文句ひとつ言わない」などと言われて育ってきた人に多く、何でも我慢をしたり、表面と胸の中の感情が矛盾して、やはりこれも心安まらぬことになります。
 こうした四つのタイプの幼児期の葛藤が、純粋に、あるいは屈折したり複合したりして大人の今の生活の中に持ち込まれていはしないか、喘息のなった原因の一つに、また、毎日の発作の背景に、こうした葛藤が隠されていやしないのか、あなたの心の検討が必要ですよと、いつも問うているのです。
 「葛藤」という字を広辞苑で引くと、次のように出ています。
(カズラや藤がもつれからむことから)①もつれ、いざこざ、もんちゃく、争論。②〔心〕精神内部で、それぞれ違った方向の力と力とが衝突している状態。精神分析における根本概念の一。
 幼児期の心理的葛藤が今に尾を引き、増幅し、喘息になっている―心理的な葛藤や感情の揺れが、不満が、成人喘息の一大要因になる―こういう事実をあなたは認めることができるでしょうか。
 どういう心が“大人の心”と言うのでしょうか。来月まで考えてみて下さい。

28 大人の心

行動医学(28)
喘息大学学長 清水 巍

 大人の心は、普通は“自我のめざめ”と共に成長を始めます。親や親戚、学校の先生に言われるままに来たけれども、果してそれでよいのか?自分は一体何なのか?反抗したり悩んだりしながら、青くさい思いに突き動かされながら、自分と言うものを確立するのです。自立という過程は、一度は古い世界を壊わし、新しい世界へ自分で船出していくことを意味します。であればこそ、航海の途中にめまぐるしく事件が起っても、親の庇護なしに処し、自ら試練として受けとめ鍛え、適応していけるのです。大人の心とは第一に幼児期の考えや感情を一度は脱皮して、自分なりのものを培った心と言えましょう。
 第二に、今まで外側を見るためにだけついていた眼が、裏側、即ち自分の内面や自分の客観的な姿・言行動を見れるようになるということです。眼は外側や他人を見るためにだけついているのではなく、心眼と言って裏側にも存在するし、それを絶えず磨く大切さを知った時、大人になれたと言えるでしょう。自分を観察し、よい点を発見して自信にしたり、問題点に気づいたり、自分をコントロールするもう一人の自分が成長したのが大人です。
 裏側を見る眼、自分をみつめ反省したりコントロールする力が少年時代に発達しないと、二つの傾向が出て来ます。登校拒否・家庭内暴力、一人よがり、唯我独尊、恐いもの知らずが一方の傾向です。もう一方は他人の目や言動、動向ばかり気にして自己保身する傾向です。喘息の人は後者が多いようです。自分の運転しているタイヤ、あるいは自分の腕や眼に欠陥があるにもかかわらず、それを知らなかったり、改めず運転をするとどうなるでしょう。他人の車や電柱にぶつからずに前へ進むためには、前や外ばかりに目をこらさねばなりません。(他人や目の前のことばかり気にすること)一生懸命に神経すり減らしてもぶつかる確率は増えてきます。あの車が飛び出したから、あんなとこ歩いているから―しまいには、こんなとこに電柱を立てた奴が悪いと、恨んだり、くどいたり、ボヤキばかりせねばならなくなります。(責任転嫁)
 自分の側には欠陥がないのか、それに気づくだけでなく、改めることができてこそ大人です。ウスウス気づいても、何とかならないかなと今までどうりを変えぬ人は、ズルイ人か勇気のない人です。恥しかろうと、つらかろうと、金がかかろうと、時間がかかろうと、改むるべきは改むべきです。交流分析という学問は、過去と他人は変えようがない。だからまず自分を、今、ここで変えてこれからを楽しく、明るくする方法を教えてくれます。(あなたも勉強してみませんか)
 第三に、親の心、子供の心が分るようになった時が大人になったと言えるのです。これまでの親の印象を、大人になった現時点で、もう一度考え、許すことができたり、感謝できるようにならねばなりません。喘息の人はどうしてこんな病気を遺伝させたのかと、親を恨んだり、血を恨んでる人が多いのです。自分の生まれたことや運命を呪っている人もいます。身近な他人(夫や嫁など)や、世話をかけてきた医者や回りの他人まで呪ってる人もいます。心に呪いがあると、心から信頼できる人が少なくなってきます。
 親は、「そんな大人になるように」と思って生み、育てたのでしょうか。仮にそうだったとしても、自分の代で血や運命を克服したとして生き抜くのが、子供や子孫のために自分がとるべき態度ではないでしょうか。
 以上、三つが不完全な人は、身は大人でも、心は大人ではありません。

 私たちは喘息とかかずりあって来ました。確かに症状は気管支にあらわれる病気だけども、その根っ子をたどっていくと心や脳に、生いたちや生活に、身近な人間関係や環境に根が刻みこまれ生えているように思われてなりません。喘息発作は、茎や根っ子の存在を教えてくれる“一輪の花”に過ぎぬのではないでしょうか。根っ子を引き抜くことができた時、咲いた花が喘息という仇花だったとしても、その花の存在に、警告に、感謝できるのではないでしょうか。花を摘みとったり隠したりする(症状をなくする)ことに精を出すより、根っ子をとり除く方が確実です。
 そうすることができるようになった時、身も心も健康になるのではないでしょうか。喘息患者が、クスリのことばかりとやかく言い、互いに足を引き合い、アングラ情報に動揺するのではなく、共に健全な生き方、考え方を身につける心からの素直さ、明るさが必要です。“大人の心”を考えてきましたが、四番目、最後に“幸福な大人の心”というまとめが必要です。次回、その点について考えてみましょう。

29 幸福な大人の心

行動医学(29)
喘息大学学長 清水 巍

 「幸福な大人の心」というのは何でしょうか。
 第一は、他人が信頼できるということです。先ず身近な人(妻、夫、子供、父母、肉親、親戚、嫁、姑等を含む親族、友人)が心から信頼できるということです。身近な人が信頼できず、不信を持ったり憎んだりしていて、幸福な心が有り得るでしょうか。有り得ませんね。妻か夫、あるいは子供だけとか、一人しか信頼できなかったらどうでしょう。この世は不安定なつらい、淋しいものとなるでしょう。(信頼できる人が)誰一人としていない・・・・・・。こうなったら、この世は闇(やみ)です。身近な人、何人が心から信頼できるのか、その数が多い程、幸福な人だということです。10人よりも20人が良いでしょうし、ほとんどの人間が信頼できる確信があれば、より幸せになれるでしょう。
 第二には、自分が信頼できるということです。自分には自分を変える力があるし、決めたことは少しでも実行できるという自信が出てくるということです。自分に自信や信頼がなかったら、幸わせだなどとは、とても言えません。「自分はなかなか良い人間だ」、「捨てたものではない」、「人のため世のため役に立っている」、他人もそう評価してくれるようになれば言うことはありません。他人が言ってくれなくても、自分で自信があれば幸わせな感じは抱けるものです。
 基本的な考え方が、「他人もよいし、自分も良い」「私はOK(オーケー)、あなたもOK」となってこそ、幸福感が宿ってくるのです。
 頭では分っていても現実にはなかなか―という人もいます。少なくとも、他人もいい方向に変ろうと努力しているのだし、自分だってよい人間になろうとしている―その点だけは断言できるという人は、それでよいのです。改めるべきことが指摘されれば、感謝の念をもって受けとめて、改めていくのが大切です。何でもプラスにしていく考え方が、幸福な大人の心であります。自分に都合の良い考えしか受け入れず、他は排斥する―それは狭い自分を守る心で、幸わせにはなれません。
 長く病んだ人は、とかく狭い考えを固執し、いくら行動医学で呼びかけても、自分を変えようとはしません。こんなことでは自分は変れない⇒紙くずかごへ、です。

 しかし、中には一人、また一人と変っていく人が出ます。Eさんから次のような便りを戴きました。

 拝啓
 きょうから、また雪が散らつき、外は真白です。もう2週間余りになります。2人の子供が風邪で4~5日前から休んでおり、ようやく母親らしく振舞えます。
 「わかば」2月号届きました。有難うございます。行動医学、我が身のことのごとく感じられ、興味深く何度も読み返しています。
 『心に呪いがあると、心から信頼できる人が少なくなる』。わたしが、そうでした。10年前の手術後、どれだけの人を憎み、呪ってきたことでしょう。
 過去は変らないにしても人(夫、身内)が変わってくれることを期待していました。当然変る筈もなく、不信の固まりとなって過ごしてきました。
 9年前の歩けなくなったときの事は、当時“心因性”と聞いても「ショックから」位に思っていたのですが、今回入院して、喘息の患者さん達といっしょに勉強し、私の場合は、不信からくる不安が(人間に対して、医療に対して)あのように歩くことを拒否したのではないかと思います。
 人を許すことのできないわたしは、当然、信頼することもできず、常に不安に怯えての生活だったのです。
 4ヶ月余の入院生活、最初は、主治医の先生にも身構えて、疑いの目で恐る恐るながめてたわたしでしたが、言いたいことが言えるようになり、そして、聞いていただけたこと、とても嬉しく思っています。
 悔やしくて悔やしくて、腹立たしくてたまらない怒り、何度繰り返したことでしょうか。ずっと言わずに胸にしまってあったことを、清水先生のおっしゃる通り全部吐き出しました。根気よく聞いてくださったG先生に、心から感謝します。話したあと、G先生にうらみがある訳ではないのにと、とても悪いような気持ちになりました。(でも、とてもスッキリしたのも事実です。)
 命を預ける先生を信頼できる心になれたことは、人を信じるわたしの第一歩です。先生がよく話してくださった「期待せず、多くを求めず」と頭に置いて、身も心も「大人の心」になれるように自分を変えてゆきたいと思っています。
 喘息ではないわたしだけど、「わかば会」に入会させていただき、共に読書会などでいっしょに学んだ患者さん達とつながりを持てること、嬉しく思います。
 今回の入院で、どれだけたくさんの人の支えがわたしに向けられていたことかを改めてふり返り、決してひとりぼっちではなかったことを幸せだと思うし、感謝でいっぱいです。
 まだ、正直、不安で少しのことに動揺します。「気を大きく持って」と(自分に)言い聞かせてます。が、以前程の心細さはなくなりました。

30 全てのものに理由(わけ)がある  ― 氷魂(こん)・氷塊(かい) ―

行動医学(30)
喘息大学学長 清水 巍

 (わかば)3月号の手紙のEさんが入院してきた時は、恐怖におののき、必死に自分を守ろうとする動物の眼をしていました。
 「誰も分ってくれない。この9年間、どんだけ言い続けてきたか、しかし、誰れ一人として分ってくれなかった。」と吐き捨てるように語る彼女にとって、ベットと布団は自分を慰めてくれる夫であり、家でした。そこだけが、安住の世界でした。そこにしがみついて、「自分は病気だ」からと、自分も他人も納得させることによって、必死に生きてきたのでした。9年間×365日。他に理由は違っても似たような人はいます。
 幾重にも巻いた不信の衣服をつぎつぎはいでいくと、核心には「一番頼りにしている夫への不信、恨み、つらみ」がありました。それは冷たい氷魂(ひょうこん)であり、彼女の身も心も冷やしてしまうのに十分でした。ましてや他人など―母や兄達さえ信じられないのに、信じられる筈がない―というのが、結論でした。何回、話し合っても「他人が悪い」という答えがかえってきました。呪いを隠せぬその表情を見て、「毎日、自分の顔を鏡で見ているのか、自分がどんな表情しているか」と話すと、さすがに若い女性らしくギクッとしていました。喘息の患者さんも我我も、毎日、鏡を見る必要があります。自分がどんな眼、表情をしているのか、何故、そういう眼、表情になっているのか、よいにつけ悪いにつけ、理由(わけ)を考えてみる必要がありそうです。
 H先生、G先生、看護婦さんも「氷塊(ひょうかい)の如き氷魂(ひょうこん)」を溶かすべく陽を降りそそぎ、援助をしました。それを受け入れて氷魂に気づき、溶かすよう努力するのも人生、溶かさず抱き続け、墓石の下まで持ち続け、骨と化すのも人生、どちらを選ぶのもEさんの勝手、と私は考えました。最終的に決めるのはEさん自身でした。この「わかば」の行動医学も自分のことが書いてあるみたいだと言い、喘息の患者さんと語り合っていたEさんは、最終的にはG先生に心を開き、前号の「幸福な大人の心」で紹介したような手紙をくれるまでに変貌を遂げました。
 「命を預ける先生を信頼できる心になれたことは、人を信じるわたしの第一歩です。私の場合は、不信からくる不安が(人間に対して、医者に対して)あのように歩くことを拒否したのではないかと思います。人を許すことのできないわたしは、当然、信頼することもできず、常に不安に怯えての生活だったのです。」と自分を見抜きました。「人間に対して、医者に対しての不信」が、9年間の病気の理由だったのです。それを抱き続ける限り15年間の病気、30年間の病気、死ぬまでの病気にも成り得たでありましょう。もっと早く自分の氷魂に気づき、それを陽にあぶって溶かすことが出来たなら、1、2年の病気で済んだかもしれません。どういう人生を選び、過すか、主たる責任は自分自身にあるのです。

 Eさんは3月号の「わかば」に対し、次のような言葉を寄せてくれました。

 「わかば読ませて戴きました。有難うございます。わたしにとっては(幸福な大人の心は)大きな課題だなあと、ため息をついています。信じたいと思っている自分の心さえも信じきれず不安になる心、どう改めて努力してゆくか、まだはっきりつかめません。でも今は、前のように投げやりでなく幸せになろうと思っています。もう、あの苦しみ味わいたくありません。つらかったから、早く暖かい春が来てほしいと願っています。またお便りします。」

 ここには、つらさを正直に吐露しながら、回りの状況はちっとも変っていないけれど、前向きに生きていこうと変化した女性、妻、母、人間の姿があります。この努力の積みあげは、不信と不安の氷魂を溶かし、春の雪解けを呼ぶでしょう。
 Eさんに春が来ることを私も願っています。と、同時に全ての喘息の患者さんが自分の心の氷魂に気づき、陽の目にさらしながら溶かし始めることを願っています。

 城北病院では、毎号の「わかば」が出ると、感想の話し合いを入院の患者さん達で開いています。
 Eさんの手紙を読み、山口県から入院してきたI氏は、「私は正直言って、まだこういう人の言っている入り口の前までも行っていない」と、何年何ヶ月も続けてきた点滴をブラ下げながら、私とは関係がないとばかしに感想を述べていました。ところが、看護婦さんに「手記を書くように」とアタックを受けていたI氏は、翌々日から本音を書き、人間が変ったようになったのです。5日間もまるまる点滴をしなくても喘鳴がなくなり、6日目にステロイド入りの点滴をしましたが、なぜ6日目に発作が自分に起こったか、見抜けるようになったのです。手記を書き、公開する決心をつけたのが転換点でした。