強く生きるための医学(その3)

21 今年度のまとめ

強く生きるための医学(21)
喘息大学学長 清水 巍

 「洞察」とは、「洞(ほこら)の中を見ることであり、察する」ということであります。人は洞の上で生きています。しかし、どういう洞の上で生きているのか気づかずに生きているのか、人間の常かもしれません。洞というのは普通には見えず、気づかないものであるからです。だとすれば、懸命にガムシャラに、ただ必死に人間は生きていくことができるにしても、よりよく生きるために、言葉を変えていうと、より健康で幸わせに生きていくためには、自分の洞を知ることが必要かも知れません。
 先日、五木寛之氏と作家の日野啓三氏の講演会がありました。私はとっても聞きに行きたかったのですが、管理会議が長びく予定と重なっていて、行くことが許されないことになっていました。五百円の聴講料が必要なのですが、その半分を払い、関心を持たれた患者さんに聞きに行き、録音してきて下さるよう頼みました。身代りに行って下さった患者さんは、帰ってきて「先生がいつも仰言っているようなことを言っていましたよ」と言うのです。五木氏の講演テーマが「古典と現代」、日野氏のテーマが「いまなぜ文学か」ですから、本来ならばこの「強く生きるための医学」や「特別講座」とは何の関係も無いのがあたりまえです。「どこがどう同じなんだろう」と不思議に思いながら、聞かせてもらいました。
 詳しく紹介できないのが残念ですが、共通点は「見えなかったものが、見えるようになる」、「知らなかったことが分る」喜びだけでなく、いままで知らなかった考え方を実行できるようになる。生き方の実践が可能となることこそこの世に生きた最高の喜びであるということだったのです。文学も医学も行き着くとこが同じであったことが、年末に証明された思いがしました。

 今年度私なりに気づいたことを四つ紹介します。
 第一は、患者さんの喘息のよくなり方は、次(下図)のようなグラフや等式に単純化されるであろうということです。病状の良くなる程度をy軸にとると、(下の右の表)で表わされると思うのです。

g21

医療スタッフの力や回りの力は恒数であり、そう大きな変化はなく、決定的なのは患者さんのxの力であるということです。これがマイナスにひっくりかえると、あるいはマイナスを含んでいれば、いかにaの数が多くても、マイナスの側、悪い側に回ってしまうということです。あれだけよかった人がいつのまにかマイナスに転じ、浮いてこなくなったり、あれだけ沈んでいたからもう立ち上がるということがないのかと心配していた人が、大きく改善・浮上したり、つくづく「患者自身が主治医、患者次第」ということを痛感させられた年だったということです。
 第二は、『脳の神経線維は樹枝状に発達し、いろいろと連絡網を形成しており、幼少時期に形成されたパターンはその人の基本的なパターンとなるけども、自分で気づいて再修正の努力や実践をくり返してもっとよい線維を形成し、それと連げることも可能である』ということです。鍛錬や自省、矯正の段階には、生涯くり返し戻ってみることが必要です。
 第三は、私自身のことですが、少しは前進があったかなということです。新さん(踊りと排痰体操で有名)と二次会に行ったときです。新さんがつくづく曰(いわ)く、「先生は背中に鎧を背負ってスキがない。どうしてそんな背中まで緊張させていなあかんのかね。」そうか、自分の背中まで気をつけていなかったけど、そう言われればそうかな、誰も切りつけてくる人もいる世の中ではないし、緊張させるのを止めとこうと思いました。成功したかなと思っていたら、つい先日、今度は野村婦長さんから歓送迎会のコンパの時、「先生はとっても損ですよ、前の方に鎧い甲、お面をつけてますしね。私みたいにあけっぴろげではないですよ。中味はそんなに悪くはないのに損ですね」と指摘されました。お世辞も入っていて?嬉しかった半面、「そうか、前も緊張させていたな」と「分っていながらそうなった遠き過去」を思い出しました。自省をし、「よし、一生かかってこれから直していこうかな」と決意しました。何のことはない。私こそ、実は仮面やしがらみ、自分の我を少しずつ、治そうとすることに努め気づき出した一年であったのです。酒を前にした時しか気づけなかったり、受け入れることができないのか、酒の席でも気づいたりすると言うべきか、これはほんの一例を記したに過ぎませんが、つくづく、他人の眼の方が正しいし、持つべきものは信頼できる人であり、スタッフであると思います。自分のいたらぬ考えや認識を次々と修正し、反省をしてきた歴史を思いますと、「裸の王様」は私だ、「鎧い甲」で身をかため他人に迷惑をかけてきたのは私であると、自戒の念にかられます。
 しかし、また一方、己がそういう存在であると自戒するなら、他人に少しあるそれを許すことができ、アドバイスも許されると思うのです。
 第四の今年の収穫は、年のせいか、宗教の教えからも学ぶことができるようになったということです。林霊法京都百万遍知恩寺法主は、「46億年の地球の歴史、生物進化の36億年の長い間、税金も出さずに自然界から空気や太陽の光熱を受け、人間社会の先祖代々からは物心両面にわたる献身を受けて、今日の私が初めてある・・・、このおかげさまを知らぬのが人間中心主義、現代人の生きざまである」と、説いておられます。なるほど、46億年目の人間か、人を見てはそう思うようになりました。先祖代々懸命に生きてきたのに、自分一代で喘息に負けてしまったり、喘息のせいにしてベットにしがみついた人生を送っているとしたら、申し訳ないではありませんか。身体にも脳にも正常化の力が宿ってハチ切れんばかりなのに、症状にこだわる浅はかさと幼い自我が健康になるのを一生懸命に妨げているのです。
 私たちに共通する大いなる自分個人の可能性や力に気づくのが第一の洞察。自分の先祖や人類の意志、解放の歴史に気づくのが第二の洞察。天地自然、生きとしいけるものを含め万物の流転と生命に気づくのが第三の洞察、即ち、以上三つの洞に気づくことが冒頭のテーマ"私たちの立っている洞に気づく"ということではないでしょうか。
 知らなかったことを少しは知り始めた一年であったり、知らなかった考えを自分のものとしはじめたのであれば、喘息は今のままでもよしとしましょう。来年こそは今年の到達点を洞察し、よりよく生きんとすると共に、より健康になっていこうではありませんか。
仏陀の言葉と聖書の言葉をつけ加えて、今年度のお別れにしたいと思います。

人の思惟(おもい)はいずくへおもむくこともできる。
されど、何処へおもむこうとも、
人は自己(おのれ)よりも愛しきものを見出すことはできぬ。
それとおなじく、他の人々にも、
すべて自己はこのうえもなく愛しい。
されば、自己の愛しいことを知るものは、
他のものにも慈しみをかけねばならぬ。

<解説>
いわば慈悲の心は、人間のすべてに本来具っている自然の感情なのである。そして人間はこの本来の慈悲の心を、一切の生きとし生けるものに対しても、無量に無限におしひろげ得る能力をも、又、本来具えているものと考えられている。それには先ず何よりも、自己が一番可愛いという自分自身の自然感情を率直にみとめ、それを中心とし出発点として、無限に深めひろげることを教える。それ故ブッダは、この慈しみの心をば、「全世界に対し」「上に下にまた横に」「立ちつつも歩みつつも臥りつつも、眠らないでいる限りは」つねに「確(し)っかりともて」とも説いている。

目幸黙僊(現代のエスプリ)

また、聖書には次のような言葉があります。

何事でも人びとからしてほしいと望むことは、人々にも、そのとおりにせよ
 (マタイによる福音書7・12)

 これは世に「ゴールデン・ルール」(黄金律)と呼ばれるものです。「黄金律の行なわれるところに、黄金時代が来るだろう」と言った人もあるそうです。更に、新約聖書Ⅱ「地の果てまで」には、こう書いてあります。

愛は寛容であり、愛は情深い。
また、ねたむこともしない。
愛は高ぶらない。
誇らない。
不作法をしない。
自分の利益を求めない。
いらだたない。
恨みを抱かない。
不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
 (コリント人への第一の手紙13・4-7)

 このように東西の神とか仏の言葉を引用したのにはわけがあるのです。近代科学や医学、現代の自我の活用はよいことであるにしても、それだけで人間の健康や幸福が完全に保証されてない歴史的な段階にあるとすれば、自我や欲のコントロールに神や仏を人間は必要としたかもしれないのです。
 我欲の対極として涵養さるべきものは、"徳"というものなのでしょうか。私にはまだよく分らないところです。今年も全国的には、"わかば会"も"喘息大学"も発展し充実したと思うのです。しかし、一部には憎みあい、足のひっぱりあいがあり、絶え間ない「自分はいいけどあの人は」ということも聞きました。悲しいことですが、私の、不徳の影として甘受しなければならないことでありましょう。
 今年度の不徳をお詫びし、来年度に向けて少しはまた正す旅路を続けてまいりたいと思います。
 よきお年を!!

22 新たな門出

強く生きるための医学(22)
喘息大学学長 清水 巍

 1988年が始まりました。末広がりを示す縁起の良い年であります。しかし、何がどう広がっていくのかが問題です。喘息の発作や入院が末広がりとなったり、ステロイドが限りなく増えたり、点滴や吸入の回数の増加が今年も続き、89年の正月まで突走るというのでは困ります。
 健康がパッパと甦(よみがえ)ってきたり、「ハハハ」と心から笑えるような幸わせな年にしたいものです。門脇陸男さんの歌にありますように、「どんと漕ぎ出ーす、祝い舟」のように、今年の門出を心から祝って、勢いよく滑り出していくためには何が必要でしょうか。今年もよい年だったなと喜び、感謝できるようになるために、何が必要でしょうか。
 年の始めに考えてみたいと思ったことは、「小我を捨てて、大我(=真我)で生きる」ということです。小我とは小さな我ないし子供の我と言っても良いし、大我とは大人の我ないし大きな法則に則っている我と考えればよいでしょう。

g22_1

 ユングは上のような図を掲げて「我」の説明をしました。我は意識の中で、欲望の動くまま次々と焦点を移動させ、どこへでも移っていくというのです。この我は小我というべきものでありましょう。この小我は何故に発達したのかということです。母親の胎内にいたときは意識がありませんから、我もありません。母親が強い不安や恐怖にさらされていない限り、あるいはさらされていても人類の安全装置の中で、胎児はほぼ安全だったでありましょう。胎盤移植をすると、喘息や慢性関節リュウマチの症状が一時的によくなる人がいるというのは、何らかの安心させる成分が移植されるのか胎内時期を思い出さすのか,そんな効果があるからかもしれません。しかし、やがて分解され切れていくのですから、ケナコルト依存と同じように、胎盤移植依存になる危険があります。根本的な解決ではないからです。
 赤ん坊の時が一番無力ですから、生れ落ちた頃は、不安はとても強いことでしょう。母や父との出会いを通じて信頼や安心,勇気を獲得していくのでしょうが,不安を裏返しにした自我を形成し,子供の我を形成し,不安や恐怖を抑圧し,欲求を実現するようになります。この小我のまんま身体だけ大人になると、いろんな防衛機制をして生きねばならなくなります。
 乳児期、幼児期に戻れない現在、かわりに吸入やおクスリ(食べ物)をもらって安心し、点滴でヘソの緒と連ながって安心し、ある人は胎盤移植、ある人はストレスを抑えるためにステロイドホルモンを借りてきて難局を乗り越えるといった姿となります。更に症状と疾病のぬいぐるみの中に入り、病院という庇護された空間を、胎内あるいは乳児・幼児期の世界のように置き換え、父親(医師)、母親(看護婦)に囲まれて,時には無意識的にひどくなって、看護婦さんに甘えて不安を一時的に柔らげ、エネルギーを補給するという人々が見られます。
 勿論、アレルギー反応、感染,疲労,ストレス、葛藤が起爆剤となって気管支に症状が起こるのですが、くり返しそういう恐怖にさらされたり慢性化すると、生まれたばかりの頃の恐怖や不安が揺り動かされてくるのではないかと思うのです。乳児期、幼児期、あるいは生まれたばかりの頃の不安と喘息発作が結びついてしまいますと、条件反射が成立し、不安や一定の時間という条件から、今度は喘息発作が誘発されてくるということがくり返されます。個人の無意識の中に閉じ込められてしまった不安が揺り動かされて、大声を上げて乳児のように泣くことも許されず小我で抑えてしまえば、気管支で泣き気管支の症状を楽にしてもらうことで、遠い昔の不安を解消せねばならなくなるのです。
 気持ちの移りゆく小我ではコントロールできませんから、薬依存でとにかく症状を出ないようにします。そうすれば、昔の生まれた頃の不安や途中経過の不安も出ないし、感情の揺れによる泣き声をあげたり、むずかったりという自律神経、運動神経の失調や動員をもたらさなくても済むことになるのです。楽になるまで点滴、クスリを求めてばかりになるのです。
 しかしこれは薬依存を生みますので、自分で皮膚マッサージをして(母親のマッサージからの脱却)、散歩、腹式呼吸、排痰、ヨガ,自律訓練,八段錦などで(自立して自信をつける、自分で自分がコントロールできるようになると自信がつく)鍛錬をするわけです。第三に交流し、対人関係での不安をなくし、自省、矯正で安定した大我を育てるということが喘息の根本療法になります。ここまでは洞察できたでしょうか。 

g22_2

 では、大我とは何でしょうか。私の考えるには上図のようなものです。ユングの図の全体を包むのが"大我"だろうと思うのです。全体を考えたり洞察したりして生きていく我こそ大我です。
 子供のとき形成した小我をウロウロさせただけで一生を終わっていくというのでは、あまりにも味気ないではないでしょうか。自分は生かし生かされているのだという大我を意識し、成長させ、小我をコントロールして生きていくことこそ、自然治癒力、回復力を高めるのではないでしょうか。この世に人間として生まれた甲斐や、喘息で苦しんだおかげが生まれるというものです。
 あまりにも症状や咳にこだわったり、痰が痰かと痰だけ憎み、一体誰が痰を産生させているのか忘れてる人がいたり、隣の人や他人がどう思っているか、いつも気にばかりしている、私だけがどうしてこんなめに、昔は元気だったのにとか、重積になったらどうしようと、考えてもどうしようもないことに捉われてエネルギーを消耗し、立ち上りきれてない人が実に多いのです。考えてもしようもないことに時間を費すのは、大我の未発達の証拠です。
 私も、吸入や点滴で一時的に楽にするぐらいは沢山の経験をしてきました。そのお手伝いだけをいくらしていてもまた元に戻るというのを見てきたので、喘息大学をみんなで作ったり、わかば会に協力してきました。しかし、まだ大我を成長させていないから、患者さんの生まれた頃の不安や恐怖を解消させるお手伝いもできなかったし、大我を成長させるお手伝いもできなかったのでありましょう。
 喘息をよくし治すことは勿論ですが、共に人間として成長する門出に、今年を位置づけようではありませんか。

23 楽しく生きる

強く生きるための医学(23)
喘息大学学長 清水 巍

 ある患者さんが買い物に出かけました。浅野川にかかる中島大橋を通って、Yという雑貨屋へ行った時です。店の中で苦しくなり、店の人に「苦しい!!」と言うことも出来ず、棚につかまっていました。「大丈夫?」と背中をさすってくれる人がいました。城北病院に勤め、学校に通っているUさんだったそうです。「ありがたい」とホッとしたら、呼吸が楽になり話をすることができるようになってきました。
 無事に病院に辿りつき、吸入や静注、点滴でよくなったのですが、この人には以前にもそんなことがありました。「あの時が学生さんが通りかかって、おぶって病院まで連れてきてくれた。私っていつもいい人に出会えて運がいいんだねぇ」とお話をなさるのです。ご本人は「よかった、よかった」とケロッともう血色のよい顔、口唇に戻っているのですが、私は気が気ではありません。大事な「おばあさん」に遠方から入院に来ていただいているのですから、もうものことがあったら、ご家族に申し訳が立ちません。
 「どうして、苦しくなって声も出せない発作になったと思います?」と、もう入院も長いし、私の講義も何回か聞いたはずだ、エンカウンター・グループに参加して気づきも深めてきた―心理療法士の先生にも何回も面接・指導を受けてきた―だから、少しはよい答えがいただけるかな?と期待したのです。答えは「さあ?頬骨の出ているところに冷たい風が当たったためでしょうか。マスクをかけていけばよかったでしょうかねぇ」でした。
 冷たい空気は誘因なのです。それで喘息が起こったり、お店の中で動けぬ程の喘息発作になるのは、冷たい空気のせいというよりも、敏感すぎる身体・気管にしてしまった意識の底や無意識の中が問題なんですよ。「貴女の頭の中が問題なんですよ、そこを改善しないとまた同じ目に会うかもしれませんよ」と口には出したのですが、分らないような顔をしておられました。
 どうしたらこの方の頭の中にこそ問題があることに気づかれ、どうしたらそこを治し喘息を出ないようにすることができるのか、一瞬、説明に迷いました。次の図はよく出てくる図ですが、意識の底や無意識に埋まった解決すべき感情や考え方が知性を通して①のルートで外へ出てしまえば問題はなく、楽しく生きていくことができるのです。②のようなルートで出口を失って内攻すると、自律神経の中枢を通じて身体の方にエネルギーが伝わり、そこで発散し、喘息を起こし易い体質の人は喘息になります。

g23_1

 A点やB点に問題があうわけであり、①のルートで処理できていないことに問題があるわけです。ユングの図で言えばA点、B点のしこりが取り除かれるか、解決が必要なわけです。

g23_2

 幼少時から小我が意識の中のあちこちを移動することは前号で述べました。この小我
がお利口さんの仮面をかぶって、自分の大切な感情を抑圧することばかりしていますと、無意識の中に、あるいは意識の底部に"しこり"が形成されます。

g23_3

 兄弟葛藤の競争意識、劣等感、憎しみ、怒り、罪障感、愛情欲求、不全感、復讐心などなどが大きなコブや根となります。このように太く肥大したりせず、Cの線のように誰でも人間なら持ってる程度に細く連ながっているということであればいいのです。
 AやBのしこりは、皮膚の下に炎症が起こった場合を考えると分りやすいかも知れません。炎症を起こしたり膿んだりしたのに、キチンと治療したり切開したりしなければ、慢性炎症状態となって、全身の抵抗力がなくなった時や疲れた時に疼いてきたり、結節となって残ったりします。
 特別講座のとき、二人の方が体験発表と新年の決意を表明されました。最初は汎細気管支炎という喘息よりもはるかに重くて治りにくい病気のTさんでした。Tさんは一週間の人事不省と人工呼吸の後に、生きていることに気づきました。いや、生かされていることに気づかれました。一厘の生きる力と九分九厘の医療の力で生かされている―有難い―と感謝の念を強くされ、自分は苦労した甲斐があった、やっと悟ることができ、こうしてカムバックできたと語られました。感謝に満ちた気づきと、生命力を素直に発揮する努力が、今日のTさんを作ったのです。
 京都へ帰られるKさんは「"洞察"、"小我と大我"の二つの講義や"わかば"で目覚めることができました。私は暗闇の洞の中に入り、喘息という洞の中に入って点滴だ、吸入だ、重積になったらどうしよう―そんな心配ばかりしていた自分を洞察できたのです。大我という全体の我から、小我も自分も見ることができました。何とか財を築かねばと、それだけを考えて人生を生きてきたのです。そういう小我だけで生きてきて、喘息の洞に入ってしまったのは当然です。喘息の洞は私に"もっと余裕を持って生きなさい、生活をしなさい"と、教えてくれたのです。喘息よ、ありがとうと言って帰ることができます」―と話をされました。この人は、財を築かねばとか喘息で焦っている自分の姿に気づき、その焦りのしこりを取り除くことによって、全く発作が無くなってしまいました。先のTさんも、「死ぬのではないか、どうしてひどくなるんだろう」という不安や不信の根が無くなって、無意識から生命力を生かしきれるようになって、どんどんよくなりました。
 他にも、外泊から帰ってくる時、気になっていた息子さんが「おやじ、心配せんと元気になって帰ってきてな」と励ましてくれたことで、積年の肩の荷を降ろしたように元気になってきたAさん、額にしわを作り、目つき鋭く人を見ていたのに、交流で「人は信用できるんですね」と柔いできたBさん。いずれの方もしこりを取り除きつつあるのです。一つ、二つと取り除くか、気づいて別のルートを作ることによって、不安をかきたてたり、喘息を起こしたりしなくてよくなるのです。より楽しく感謝に溢れて生きていけるようになるのです。
 では最初の患者さんはどうでしょう。
 手記によりますと、遊びたい盛りの小学校6年間というもの、身体の具合の悪い、”従姉妹”に付き添ってばかりで、思うとおりにすることができませんでした。結婚してからも働くばかりで、楽しむということができませんでした。嬉しかった唯一の思い出は、小学校のある学年の時、先生がよくあっちこっちへ連れていってくれたことだけだというのです。
 「この病院にいれば安心なんだけど、医者も遠い田舎に帰ると不安で」と、また元の生活に戻りたくない思いがあるのです。”従姉妹”も娘さんたちも、お孫さんたちも、立派になれたのは自分の力もあったのだ。こうして城北病院で”楽しめる自分づくり”ができるのも送り出してくれたご主人のおかげなのだと、AやBのしこりを取り除くよい考え方や気づきが深まれば、この患者さんの痛んだ神経は回復し、喘息は改善するのです。
 楽しくいきるには、しこりに気づき、それを取り除く作業をしなければなりません。あるいは、違ったルートを開発することです。毎日が心からの感謝で生きていないという人は、しこりがあるのです。少なくとも、一つ以上はあるのです。

24 内なる天気をどう感ずるか

強く生きるための医学(24)
喘息大学学長 清水 巍

 Yさんの頭の中はどうなったでしょうか。前号で取り上げて問題にしたら「先生が家族に申し訳ないとまで思って下さっているなんて知らなかった。説明してもらうと気づきができてくる」と普段でも明るい表情となり、発作も少し減少するようになってきました。
 頭の中が改善すると、どうして喘息はよくなってくるのでしょうか。下図は大宇宙と小宇宙(人間)を図示したものです。

g24 (1)

 人間が健康に生きていくためには、太陽のエネルギーや雲も必要でありますが、身体内に燃える生命力の灯が人間に伝わり、その力が十分に発揮される必要があります。無意識の影が必要以上にしこりとなっていれば、内なる太陽が正しく意識に反映してこないのは明らかです。私はこの「生命力」が一番大切であると思います。自然治癒力とも復元力とも言いますし、仏教では"仏性"と言い、キリスト教では"命の息・泉"とか「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」とか言うものでしょう。次は「気力」です。この二つがブロックされている人が何と多いことでしょう。太陽のようなエネルギーを、外からも内からも得ているのに十分に力を発揮していると言えるでしょうか。感情、智力、体力がその外側を包んで、行動や実践で経験を積み、能力を身につけ、よき人となるのです。
 自然科学的、医学的に見ますと青斑核を中心とする線維が生きてゆくムードを作っているのではないかと言われていますし、錐体路、錐体外路、小脳路、脳幹部、自律神経、ホルモン、免疫系など既に知られている経路の他に、全身にある神経節にはリトルブレイン(小型脳)の働きがあり、腹部では昔から肚が座わるとか、腹式呼吸が良いと言われるように、腹腔内の神経節で沢山の有用な伝達物質を作るとこがあるなど、解明が進んでいます。鍛錬すると出るエンドルフィンの伝達経路も、調節に一役も二役も買っているとされています。これらは互いに連絡路を形成し、外の光のように素早く身体の内側で情報を伝えあっているのです。
 ですから、不安や不満、怒りばかり頭にある人は、ロクでもない神経伝達物質しか産生していないことになりますし、教育、鍛錬、交流、自省、矯正によって安定してきた人は、快適な物質を頭と身体の中から毎日産生して、快適に感謝をしながら生活しているわけです。光や影のごとく対照的となるのですが、それは、天に雲がなければ大地には光が溢れ、無意識の世界にしこりが大きな影を作っていれば、内からの光は意識の上にその大きな影を色濃くおとす理屈と同じです。
 「影はすべての人間にあり、ときに大きく、ときに小さく濃淡の度合いを変化させながら付き従ってくる。それは"もう一人の私"ともいうべき意識下の自分と見ることができる。影である無意識は、しばしば意識を裏切る。自我の意図する方向とは逆に作用し、自我との厳しい対決をせまる。心の影の自覚は、自分自身にとってのみならず、人間関係の上でもきわめて重要であり、国際交流の激しくなってきた今日においてますます必要である。」・・・河合隼雄「影の現象学」(講談社学術文庫)・・・ちょっと難しいけど面白い。
 国際交流のためどころでなく、喘息を治していくためにも「意識に影を落とし、本当は意識への光りのあたり具合を調節している影としての無意識」を考え、調節できるようになることが「楽しく生きる」ための秘訣なのです。第一は「気づき」によって無意識の意識化を図ることです。第二は砂上や水の上に楼閣を築くようなことは止めて、自分の作ってきた家庭や歴史、任務の延長線上に自分を没入させることです。(影の影響を振り払うことになる)第三はたとえどうあっても、外と内との太陽が輝いていることを確信し、雲や影の晴れ間を待つことです。生かされていることを自覚することです。
 無意識のとこを変えないとダメなんですよ。影を磨かんとアカンのですよ―という話は難しかったようです。しかし、外なる天気を見ながら、感じながら自分や自然を調節すると同じように、内なる天気模様を見たり感じたりしながら自分をコントロールできなければ、健康に生きていく事はできないし、強く楽しく生きていくこともできないのです。
 先日、ある患者さんとの奇妙な偶然の重なり合いを経て、ショッキングな影に出会いました。私と同じ考えを本に書いている人が居たのです。しかも、福島県出身で神奈川に住んで居られる"医者"なのです。私が影か、向うが影か共通の認識に達している医者が少なくとも、これまで知っている人以外にもう一人日本にいるということが分ったのです。
 要旨を引用してみましょう。
 「お母さんの方が発作を起すのではないかと不安になったから、A君は触発されて発作を起したのではないか―母子が一体のようになって起していた」。「喘息の呼吸困難は何か大事なものが欠けていることを象徴しているのではないか、それは生きていく上で欠かせない安心感である」。「喘息は生物学的な病気だけでなく、人間的な病気の側面がある」。「理由(いわれ)のない不安が、ちょっとした身体症状が出るだけで起ってくる。それは乳幼児・幼児期に抱いた不安に基づくものである」。「イメージや天候、大気の温度の刺激で過敏な反応を起すのは、乳幼児期のそれと同じである」。「不安のイメージだけで発作を増悪させる」。「発作で苦しんでおれば他で苦しむ必要がない。発作だけに意識を集中すればよくなるから」。「治療する医師と病人の人間関係や信頼感、安心感は無視できない」。「自主性を確立すると治る」。「言葉や教養が必要である」。「自覚的になればコントロールできるようになる」。etc.
 この本の著者は鈴木秀男先生。「イメージの病い―モデルとしてのぜんそく―」(清水弘文堂1,200円)親のせいというより、自分がどう受けとってしまったか、どう無意識の中に閉じこめてきたかが問題だろうとか、その意識化、自覚化、教育、集団療法で気づいたり治し得るし、医学・医療がもう一つ問題だから患者が治っていないだけだとか、幼児期だけでなくその後すべての生活の連続や、集積が問題なんだとか、外因性をもっと重視したいとか、重点の置き方に異論はありますが大事な一致点を感じます。患者さんはいかがでしょうか。批判的に読みながらも、受け入れる点があれば、変革の足しにして下さい。
 胎内、乳児、幼児、青年期。私も強調してきたことですが、その間の内なる天気の日々をどう感じ過してきたのか。その歴史はどうだったのか、外との関係はどうだったのか。そしてこれからどう変えてどう生きていくのか。私自身に問うと共に、皆さんにも問いたいと思います。人間が歴史を刻むのは外なる天気だけでなく、内なる天気にもよってきたからです。
 だから、「カーッ!!」とか「カッ!!(喝)」とか気合いを入れて生命力の火を輝やかせ、活路を切り開いていきたいものです。

25 喘息の構図

強く生きるための医学(25)
喘息大学学長 清水 巍

 四月の声を聞くと、大地は一斉に春を迎えます。桜前線も北上し、金沢の兼六園の桜が見頃となって、入院中の喘息患者さんの会―こだま会―が花見にどこへ行くか検討しだすのも間もなくです。
 前号では"内なる天気をどう感ずるか"というテーマで書き、城北病院と寺井病院で講義をしました。図1を見て頂きながら、冒頭に質問を四つしました。

g25_1

 第一の質問"自然の天気の変化を感ずる"人、手を上げて下さい。
 城北病院では2/3の人が感ずる、1/3が感じない、寺井では4/5が感じ1/5が感じないでした。城北は入院中の人の比率が高く、寺井では外来通院の人が殆どであったからかもしれません。
 第二の質問"喘息の調子や身体の調子を感ずる人"
 城北も寺井も全てのみなさん"感じる"ということで手を上げました。
 第三の質問、"内なる天気を感ずる人"城北も寺井も殆ど考えたことがないというわけです。城北では四人がそれでも感ずるということで手を上げました。
 第四の質問"図の上と下、半分ずつを見たり感じれる人"
 城北で一人、寺井では0(ゼロ)でした。私は殆どの人が上半分を眺めるだけでなく、下半分もいつも見つめ、感じてコントロールしていって下さいよ―と前号に書いたのに、意外と少ないことにビックリしたわけです。目玉は確かに外に向ってついているけども、目玉は丸く内側を内観する事も可能なのに、内側にはあまり向ってはいなくて、外を見ているか、症状だけをしっかり見つめているという現実が浮かび上がってきたのです。
 「眠そうに私はいつも睡眠不足のような顔をして診察しているように見えるかもしれませんが、この人は二週間どうだったのかな。外面はどうで内面はどうだったのかな?50%、50%と、図で言えば上と下を半分ずつ見ているのですよ」と寺井で話をしました。勿論、自分を眺める場合も上と下半分ずつ、城北での外来、入院での回診、喘息大学の学生との通信でも上と下を見ているのです。それ以外の見方は医者の眼を曇らす誤診だと思っています。しかし、見たり考えたりしても何をどう話すかは、「患者さんの見せてくれる情報と受け入れ得る可能度」で調節しており、思ったことを全部話しているわけではありません。
 私がどうしてこういうことを今度の号に書いたかといいますと、
①私と同じような見方や考え方を患者さんもして欲しい。内なる天気や無意識の部分も考える訓練をして欲しい。②結果として出てきた症状だけを見つめ考えているだけでは治らない。③私の考えも患者さんの考えも次第に一致させていく必要がある―と思ったからです。私の方では当り前でも患者さんの方ではそうではなく、患者さんの方では当り前でも私の方ではそうでないことがあるからです。
 たとえば池見酉次郎先生の本によく出てくる"理性と感情と自律神経の中枢の大脳の図"を私もよく書きます。これが出てくると患者さんの多くは「ああまたあの図が出てきた、分らん、難しい」と思うのだそうです。私達にしてみると、こんなに単純化してしまっていいのだろうか、これなら全ての人が分るだろうと思っているのです。でも、そういう図も分ってもらっていく必要があるのです。「始めは難しいと思っていたけども、"強く生きるための医学"は何回か読んでると分ってくる」とか、「講義を何回か聞いたり、テープを聞いてると、だんだん分ってくる」と言って下さる方が増えてきました。小、中、高校の時代でしか大脳の構造を習わず、以後は思い出したり考えたことも無かったという人が多いわけですから当然なのですが、相当に高齢な方でも「分ってきた」と言って下さっています。
 その”大脳の図”というのは次の図(図2)のようなものです。「喘息よありがとう」にも出てきますし、今度、四月後半に出る新しい本にもまた出てきます。

g25_2

 「強く生きるための医学は難解だ、シロウトには分らんよ」―こういう見方や考え方、断定の仕方が実は喘息の構図と関係があるのです。「外の現象だけを見て、自分のせいにしない」「外や回りのせいにして、自分のせいにしない」というのが喘息の構図なのです。自分の非力のせいや受けとり方、考え方、努力の仕方にはしないのです。それは外の天気や人の動き、現われてきた症状や結果に眼を奪われ、そのせいとしか見ないのと共通です。自分の内側を見たり感じたりする眼の曇りのせいだとか、自分の内側(小宇宙)の問題なんだとか、自分の脳(図2)のせいなんだと、自分の側の問題なのだと思わぬ点で、共通しています。
 実はこういう見方や感じ方、考え方は乳幼児、幼少に時期に身につけた可能性があるのです。オッパイをもっと飲ませてほしかったのに母親は行ってしまった。もう飲みたくないと思うのに、押し付けられて飲まされてしまった。こんな風に育ててほしいと思ったのにそうではなかった。こう可愛がって欲しかったのに父はそうしなかった。母親や父親のせいだ。向うに一因がある。だから私は悪くない。責任をとってほしい。と相手の責任に、外部の責任にしてしまう考え方です。「どうして武者振りつかなかったのか、断固として拒否してもよかったのではないか、自分の考えを改めることも必要」と自分の側からの問題も認めることによって、満足や成長が始まるのです。
 喘息の人の中には「母親に責任をとってほしい」、「父親が悪いからだ」、「ああだったから、こうだったから」と、家や自分の家族のせいにしている人がかなりいます。「薬が効かぬから」、「天気が悪くなったから」、「カゼひいたから」、「抗生物質くれないから」、「吸入してくれと言ったのに、まだ時間が来ていないと拒否されたから」と全て一理はある外部の責任にすることがとっても好きで、習慣となっています。それは、昔の小さな時と同じなのです。
 自己防衛と抵抗が習性となっています。しかし、そのどこかで相手のせいにしきれないために、喘息発作となって自分を痛めつけながら、相手を責め自分をかばおうとするわけです。そういう心理や現象で喘息の治っていない人がいるのです。他人の責任にして自分の責任は棚上げとする―しかし、それを口に出したり主張できないために、最終的には喘息のせい、症状のせい、何かのせいにしてバランスをとっているのです。
 喘息のせいだけにしたい―自分のせいにはせず症状に置き換えてしまっている。これが喘息の構図なのです。喘息のせいにせず、その構図を改めようとしてこそ、新しい会員と共に素晴らしい春を迎えることができるのではないでしょうか。

26 新たな挑戦

強く生きるための医学(26)
喘息大学学長 清水 巍

 わかば金沢支部の今年度総会の前に、昨年と同様、曹洞宗の名刹、大乗寺で座禅を組む行事が行われました。静寂な境内の中庭には雪柳が真白に咲き、泉が湧いているような風情でした。桜の花びらもお寺の中に舞い込んでいました。
 昨年度よりも今年は参加者が多く好評でした。金沢支部はここで三つの試練を受け、新たな挑戦をすることになりました。一つは寒さでした。東京でも桜が咲いているのに雪が積もった日があったそうですが、桜が散る頃なのにこの日は、2月中旬頃に気温が戻ったのです。皆さん、それは良く耐えて、約2時間の「座禅と板橋興宗住職の講和」を終え、これまた広くて寒い本堂で昼食をとりました。2番目の試練は、総会終了後の体験交流会でした。ここでは参加者全員が立って、みんなの前で、自分の体験や今日の感想を語ったのです。初めて人前で話すような人も含め、皆んなが堂々と感動的な発表をしたのです。覚悟と決意して参加した人にとっては、これらの試練を乗り越えることは、次の山を乗り越えることであったようです。重症患者もたくさん参加したのですが、誰1人として発作を起さず、吸入薬も注射薬も一つも使用することなく、従って病院に持って帰りました。三つ目の試練が何であり、それについてどうかということは、この号の末尾に記すことにします。
 私は座禅をしたり、板橋先生の話を聞きながら、次のようなことを考えていました。
 福島県の会津から出て来たばかりの4月、今から27年前のことですが、金沢大学の構内(お城の中にある)の草むらに寝っころがり、桜の花びらが流れるように舞い落ちるのを眺めながら、友人もまだ一人として出来ず、淋しい思いをしていたこと。この一人ぼっちで淋しい日があったということを忘れまいと頭に刻んだこと。そして先き行きがどうなるか分らないけれども、いつの日か思い返してみようと思ったことを、懐しく思い出しました。今はあの時よりも桜は暖かみや赤味を増して感ずることが出来、淋しいという思いを投影しなくてもよくなっています。花びらの1枚1枚が、私たちの思いであったり、患者さんの心であるように感じられ、今年もこうして人々を喜ばせ、来年もまた立派に咲く人間の年齢や成長と同じなのだと見ることができます。ここに至るまでには、ささやかな自分の努力もあったでしょうが、病院の職員や家族、よき患者さんのお蔭だったのです。
 ”大乗寺と座禅”にしても、金沢に住んで名前は知っていましたが、お寺を見るのも参禅するのも26年も過ぎた昨年からです。金沢に住んでおればこそ、喘息患者や私にとって適当な禅寺(キツイ座禅を強いたり、警策(きょうさく)をやたら打つところもあるらしい。そういうところは患者にとっては適当ではない。)があり、喘息大学や城北病院の医療と同じで、「人間を目覚めさせ、成長させようとする共通性」が感じられ、全国の患者さんは同様の体験を味わえるのだろうかと思いを馳せました。
 金沢(生体エネルギー研究所の本部がある)に住んでおればこそデニス・ホーナー先生とお近ずきになれ、来日したウイル・デイビスのワークショップに金沢で参加することが出来ました。ライヒ研究会(ウイルヘルム・ライヒという優れた医学者-私の新著に出ています)も、先日、ホーナー先生を講師に城北病院東三病棟の多目的室で発足させることが出来ました。
 今年の座禅では警策を受ける人は少なかったようです。暗く寒い座禅堂では、いつしか皆んなの呼吸も静かになっていました。どなたかが合掌したのでしょう。ビシーッと空気を突ん裂く音がしました。続いてまた一人、願い出たようです。炸裂音が外に飛び出しました。もう誰も願い出る人がいないようです。私は昨年は初めてでしたから願い出ませんでした。何せ、背中に他人が立っただけでギクッとする方ですから、今年もパスしようと思っていました。しかし、「待てよ、来年まで座禅の機会は無いだろう。喘息の人にも”新たな経験や内面との出会い、無意識との対面”を勧めているんだから、自分だって新たな挑戦をした方がよい。痛かったりイヤだったりしても、人が耐えられるんだからいいだろう」そう思うや、合掌し警策を願い出ました。「頭を傾けて下さい。そうじゃありません。左へです。もっと傾けて下さい。」という声がしました。腹式呼吸と冥想で、もうどうなってもよい境地でしたから、その通りにしました。「パシーッ」と右肩に警策が叩打され、快い激痛が放散しました。警策とは背中を叩くものとばかり思っていたのに、肩だったのです。あとから聞いたところによりますと、大乗寺の雲水さん達は、朝4時20分から9時まで座禅をし、警策は私の受けたのの3倍ぐらいきつく打つのだそうです。それでも私なりに新たな挑戦をしたのですから、よい経験をしました。
 私は今号で金沢のお国自慢をしようなどと思っているのではありません。どこに住んでおられてもどの年代の人であろうとも、新たなる挑戦をすることによってよき出会いをつくり、成長が可能なのだということを示したかったのです。”わかば”の3月号に「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う。・・・年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる」というサムエル・ウルマンの詩を紹介しました。この詩に魅せられ、幻の詩人を追いかけた『「青春」という名の詩』という本を最近になって知り、読みました。一編の詩を追いかけてアメリカまで出かけ、一冊の本を著者は書いたのです。
 その中にウルマンが80才の時に書いたという他の詩がいくつか載っています。「人生航路の贈り物」の最後の1節を紹介しましょう。

涙の水がなければ
歳月を通じて
心の奥底は
希望のつぼみを閉じる
人生のどんなところでも
気をつけて耕せば
豊な収穫をもたらすものが
手の届く範囲にたくさんある

 正にこうした精神や発見、獲得の努力が必要です。「必携 喘息克服読本」(新著、5月発売)
には、私の幼少時期に受けとったストロークを紹介しています。私自身が腸チフスで危なかったこと。父親と葛藤状態にあったこと。それがあったればこそ今日があるのかな?と初めて書いてみました。
 大乗寺の板橋先生も「大病」があればこそ、人を成長させる。「貧乏」があればこそ、金持ちになった人が沢山いることを話しておられました。病気に浸り、嘆いていたり、責任転嫁していたのでは、それを続けるしかないのは火を見るより明らかです。三つ目の試練とは、「喘息」という病気を幸せになっていくキッカケとし、バネとしていくことに挑戦をすることです。嘆いたり要求したり、自らの責任を症状や病気に転嫁していても始まらないのです。喘息大学、わかば会、必携喘息克服読本、城北病院を最大限に利用し、”喘息”を幸福と成長への転換点にしていただきたいのです。ヘレンケラーが三重苦を克服し、ベートーベンが難聴と斗って第9交響曲を作り、野口英世が手の火傷をバネに偉大な仕事をした話は有名です。そんなに有名でなくとも、肺結核、吐血、心筋梗塞や脳卆中、癌さえも克服し、生きる武器に転化している人が沢山いるのです。喘大5期生が今年5月卆業しますが、喘息があったって、喘息を治したばかりでなく、素晴らしい成長を遂げた人が、北海道から奄美まで全国各地から集い、巣立っていきます。
 金沢支部のみならず全国のわかば会の皆様、今年度この三つ目の試練「喘息を幸わせへの転換点にする」に挑戦するようお願いをします。逃げたり隠そうとしたりせず、受れ入れて立ち向って下さい。それがあったればこそ、反って私の人生はよくなったと言える新たな人生のページに挑戦して下さい。

27 結果は後からよいように

強く生きるための医学(27)
喘息大学学長 清水 巍

 「喘息を不幸への転落点」にしてきた過去にさよならをし、「喘息を幸せへの転換点にする”新たな挑戦”」を呼びかけました。それは1朝1夕でできるものではありません。そんなに簡単に出来るものなら、とっくに皆んが治っているわけです。
 でも、石川県喘息友の会や喘息大学は今や自信を持って、「幸せへの転換点にする」ことが可能ですよと断言できるようになりました。その根拠を3つ挙げましょう。第1は喘息大学の8年間の実績です。喘息を治すためのよい方法や考えを4年かかって教えましょう-ということで出発した喘息大学は、「よくなり治るかどうか分らないけれども、4年間やってみましょう」という新たな未知の挑戦であったのです。4年前に1期生が卒業し、今年度その時入学した5期生が卒業しました。80%が入学前より良くなり、5期生は特に注射やクスリなしで発作も無くなったという人が沢山輩出しました。(5期生卒論集参照)。参列した卒業生は「幸せへの転換点」に立ち、口々に喜びを語り、赤いカーネーションをもらい第二の人生に出発したのです。もうそれは未知への挑戦ではなく、既に確実に分っている道への新たな挑戦なわけです。「僕の前に道はない。僕の後ろに道は出来る」という高村光太郎の”道程”という詩がありますが、道は少しずつ広く立派になったのです。本人の主治医としての努力が伴うならば80%が良くなるということは、「幸せへの転換」の保証です。
 第2は実績だけでなく、法則が明らかになりました。「人間の成長と共に喘息はよくなり、治る」ということです。小児喘息はアレルギー喘息の典型でありながら、アレルギー体質は変らないけれども、身体や心、人間関係の広がりや成長で自然寛解するのです。成人喘息は身体の成長や発育というのはあまりなく、停滞や老化があるわけですが、教育・鍛錬・交流でリフレッシュさせたり、活性化を促すことが可能です。心や考え方、精神や人格の成長は加令とともに無限に可能です。成人喘息は小児のように、自然的成長が無いから大変だけども、意識的、能動的、自覚的に人間として成長させればその成長と共に治るという法則を明らかにしたものです。身体の免疫を司どるT細胞というリンパ球がありますが、これは胸腺を通過すると活性化され、活躍しだすとされています。それと同じように喘息大学の交流会や”わかば”の機関誌は、活性化を促す機関と言えましょう。
 「人間の成長と共に成人喘息を治す」そんな療法や教育システムは、4年制を採用した喘息大学が始めて切り開いたものです。日本でも、いや世界でも始まったばかりのものではないでしょうか。だから人気が出ないし、なかなか回りの人に分ってもらえない-そういう経験を皆さんは何度か味わったことがありませんか。言われるような面倒な、原則的で本格的、根本的努力はしないで、何かの注射かクスリで治す-そんな人が多いのです。これまでの全ての治療がそういうものでしかなかったから、一朝一夕には分ってもらえないのです。次の図は疾病モデルです。

g27

 皆さんはこれまでどこに所属し、今はどこでしょうか。そして、どこに到達しようとしているのでしょうか。成長して始めて自分の昔や他の人の段階が分るものです。低次の段階であればあるほど、表面はとりつくろいますが「成長でよくなるなんて馬鹿気ている」と、成長できない自分を肯定しますので、隠れていろんな治療を求める二重人格者になるようです。そうなると、主治医や喘息大学”わかば”も半分しか信じないわけですから、成長もないし症状の安定もなくなります。
 「参加なくして成長なし」-これは喘大5期生の朝倉さんの御家族・御主人の今回参加された実感から生まれた言葉でしたが、奄美から御主人・見学の医療スタッフ2人と共に、東京から馳せ参じた2人の娘さんに見守られて卒業された石田律さんを始め、御家族と共に成長される方も増えてきています。喘息のおかげで新婚旅行のやり直しを、山中温泉で何回も楽しんでいる方もおられます。一泊二日の喘大交流会は、400人からの熱気やエネルギーを受取とる溶鉱炉の役割りがあり、私のよく示す10段階の階段を1から10まで登りつめる体験をする時であり、365日を前向きに送る勇気を受けとる場でもあります。全過程を体験的に集団的に共有することなのです。
 私たちの方法以外でもよくなり治る人は沢山います。しかし、積み上げれば山になる喘息のいろんな治療薬や治療がありながら、ステロイドやクスリが抜けず、発作も少なくならなかったという人が、80%よくなっていく。「人間を成長させて自然治癒力で喘息を治す」法則を、私たちは成人喘息、いや、一つの慢性病克服に導入しようとしているのです。地元でも全国でも、ようやく皆さんの体験や実感、努力を通じて支持されてきたような気がします。
 第3は、人生最大の不幸と信じた喘息に立ち向い、喘息を克服するだけではなく、一回りも二回りも人間を成長させるわけですから、マイナスをプラスに転化する体験を持つということです。マイナスをマイナスにしか考えていないから不幸になるんだと言えましょう。プラスが出れば喜んで前へ進めばよいし、マイナスが出れば「それもまたよし」でプラスに転じていけばよいんですと、喘息は教えてくれています。
 喘息の人は「自分の思う通りの答を出してくれないと気に入らない」という態度で、「いったいどうしたらいいんですか」とよく激しく詰め寄ってきます。「私の思う通りにしないと気にいりませんよ」という態度がありありの時には、「AでもよいしBでもよいのですよ」と答を言います。キョトンとして気にいらないわけですが、「AでもよいしBでもよい」、「プラスでもよいし、マイナスでもよい」、選択はどれかしかないし、大切なことはどっちかではなく、どっちでも結果を最終的にいい方へ持っていくことなんだからと禅問答します。
 これが分ってくれば一人前、分ってくれなくても仕方がない。分るまで待つしかないと思うわけです。今、たとえ一致できなくても、結果が後からよい方になればいいし、よくなると未来を確信しているわけです。何でもよい方に考えていけると喘息はよくなるし、人間もよくなるのです。以上三つのことは今回の第9回喘大交流会で沢山の学生に教えられ、固い確信となったことです。

28 コミュニケーションの確立を

強く生きるための医学(28)
喘息大学学長 清水 巍

 母親の胎内にいる時は、胎児と母親は一体となっています。オギャーと生まれると同時に子供と母親は二心異体として存在します。赤ん坊は一人で生きていくことは出来ず、一年程してやっと他の動物の子供と同じように何とか同レベルに達すると言われています。犬や猫、牛や馬にしても、生後やがて何とか自分の足で動くようになるのに較べ、1年間の遅れの後に立って歩く自立を確立し始めるわけです。一夫一婦制が人間の社会の中で確立して来た歴史には、一組の夫婦が協力しあわないと赤ん坊を守り育てることができなかったからだという学者もいます。
 そのような夫婦の愛のもとに生まれても、赤ん坊は母親のオッパイを初めは自分の一部だとしか認識していません。胎内にいた時と同じように、母親と一体である、連ながっていると思っているわけです。いつでも欲しい時にオッパイがもらえ、いらなくなったら拒否すればよいと思っているわけです。ところがどうもオッパイは自分のものではなく、母親のものらしいと気づいていくわけです。そこでコミュニケーションや意志表示の必要性を学び、身につけていくのです。暑さ、寒さにしても、眠たい、眠たくない、オシッコや便で不快だとか、抱いてあやしてほしいだとか、泣くという原始的な手段の中に、種々の感情や気づき、意志をこめて伝達をしていくのです。この時期の授乳体験が人間同士の基本的な信頼関係の基礎となると、精神分析学では説いています。誕生から離乳までの間に問題がある人を、精神分析では口唇期性格といい、口が可愛いくて仕方なく、口唇をなめたり、食い意地を張ったり、甘えん坊、大酒飲みのルーツが、ここまで逆のぼれると唱えています。
 その後の排泄の訓練を通じて自己コントロールを学んでいきますが、その時期に問題があると、肛門期性格があるというわけです。何ごともキチキチにしないと気が済まくなかったり、あるいはルーズ、ダラしなくて戸を閉めなかったり電気を消し忘れたり、出しっ放し、後仕末をしない、あるいは出すのをイヤがる(時間、労力、金銭、愛情とも)ケチな人間になっていきます。逆のぼればここまでルーツが辿れるのですが、この時期だけが問題だというわけではありません。
 その後、自分がどう修正していくか、どう成長してきたかが主要な問題なのですけれども。
 私が今号で取り上げたいと思ったことは、言葉で伝えていくことの大切さということであります。泣くということや、イヤだということで拒否したり、言葉にせずに甘えたりだけだと、コミュニケーションが正常化しないということです。人間は、表情や仕草、態度で表現もしますが、言葉で自分の欲求や本音、感情を表現するということはとても大切です。これが出来なくなると、喘息になりやすい体質の人は、喘息発作を起こしてしまうのです。
 何故、ホンネとホンネの交流ができないか ―。二つあるようです。第1は、母親や他人は自分の思うとおりに分ってくれたり、してくれて当然だと母子分離ができていない場合です。もう一つはホンネをスムースに相手に伝えることが恐(こ)わく、知性化したり隠したりの場合です。どちらにしても人間同士はたとえ親子でも二心異体なのだから、コミュニケーションを素直に、正確に、思いやり深くやる必要があるのだということが、わきまえられないように思われるのです。それをハッキリさせるために「ゲシュタルトの祈り」を紹介しておきます。
まずフリッツパールズの祈りです。

 「ゲシュタルトの祈り」
― パールズ
私は私の事をして
あなたはあなたの事をする
私はこの世で
あなたの期待にそうようには生きていない
そして、あなたもこの世で
私の期待にそうようには生きていない
あなたはあなたで
私は私である
もし縁があって知り合いになれたら
それは美しいことだ
もしそれがなくても
それはそれでいい。

 

パールズを越えて
― テューヴスの祈り
・・・・・前略・・・・・
私はあなたを偶然に見つけるのではない
私はあなたに近づくために私の意志で
あなたをみつけたのだ
ただ待っているのではなく
私の意志で
ことが起るようにしているのだ
私は自分で始めなければならない
それは真実だ
しかし、私は私だけで終わらせたくない。
真実は二人で始まるのだ

 

パールズとテュービスを超えて
― ヨウ・ユウ・クオ
私が私のことをし、あなたがあなたのことをするだけなら、
私たちは社会と自分自身を見失ってしまうかもしれない。
過去のおかげで現在の自分が、先人のおかげで自分が存在するのだ。
自分のものがどれだけあるというのか。
ガンはひとまとまりになると、楽に飛ぶ。チューリップは束ねると、もっと美しい。
私たちはたまたま相手を見つけるのではない。また二人だけでいっしょになるのでもない。
自分のことを思いわずらってはいけない。いっしょにできることはたくさんある。
たしかに私たちからはじめなくてはならない。しかし、どうして自分をなくさないのか。
交感する精神のなかでは、一人や二人ではなく、すべてのものが一つなのだ。

 

ゲシュタルトの祈り
ジョン・キャロル
私は私の洗濯をする。あなたはあなたの洗濯をする。
私はあなたのたえまない不平を聞くために、この世にいるのではない。
あなたは、何かはっきりとした理由のためにこの世にいるのではない。
あなたはあなた、私は私だ。
私は私なりにやった。
たまたま私たちが出会うなら、
それは言葉にならないほど退屈なことだ。
デディケ

 あなたはどれが気にいったでしょうか。声を出して読んだり、口の中で唱えたりするとスッキリするでありましょう。正にこういう関係でしかないという原則を踏まえるなら、言語によるコミュニケーションの確立がいかに大切かということです。面と向って言いにくい時は手紙にすることもいいでしょう。ノートに書き、それを見せるのもいいでしょう。杉田峰康・春口徳雄著「役割交換書簡法」(創元社、1,500円)の本は、一歩進めたやりとりを紹介しています。
 このように本音(ほんね)と本音を礼儀と思いやりに則(のっと)った上で交流すること、自己表現、表出、言語化が心理的負担を軽くし、喘息をよくするのです。自分のご主人を「二男(じなん)」としか呼べなかったのに、○○さんとかあなたと呼べるようになって良くなったとか、お姑さんに手紙を書いたら、これまでとは違った優しい面が自分にも相手にも発見できたとか無数の例があります。
仏教の教えの中に「天宮の網」というのがあるそうです。帝釈天の天宮の網目一つ一つには宝石が結びつけられ、一つの中に他が映り、次々と映し合って尽きることのない美しさが広がっていくのだそうです。あなたが輝けば家族が輝くのではないでしょうか。

29 時間の構造化

強く生きるための医学(29)
喘息大学学長 清水 巍

 前号に「コミュニケーションの確立を」と書き、7月の特別講座では同じテーマで1時間の講義をし、30分間は「自己成長と喘息の安定化のメドがつき、退院可能となった人たちの感想と決意表明」が行われました。その日と次の日は、城北病院の東3病棟は落ち着いていたようです。更にその次の日は海水浴の予定でした。
 海水浴予定の日曜日、梅雨が明けず前日も雨が降り、当日もウスラ寒い日となり、「こんな日に海辺に行ったのではカゼをひき、喘息が悪化してしまう」ということで中止となりました。海水浴のイメージが崩れたためか、2日前の「特別講座」の揺り戻しがきたのか、天候の不順さの影響か(これはここ2週間同じような筈だったのですが)、それとも偶然の重なりか日曜日は発作を起こし、点滴、吸入、果てはボスミンの人が何人もいて、人工呼吸器をつける人まで出てしまいました。
 今号では「時間の構造化」を予定したのですが、患者さんは「海水浴の時間」が「発作の時間、点滴、吸入に頼る時間」になってしまったようです。私はここ数年、この海水浴の日曜日はいつも何かとダブって出席できませんでした。今回はダブらなかったので参加する予定でいました。当日の朝、中止を確認して「海に入れぬのは残念だけれども、雨、これまた天の慈雨」とばかりに、日頃の睡眠不足の解消のため、タップリ睡眠をとらせて頂きました。日曜日に朝寝をタップリするというのは夢の1つなのですが、なかなかそういう機会に恵まれないので、天の雨は「夢の実現」という貴重な時間の構造化となりました。昼からは「指示出し」と「たまった仕事を片付けよう」と病院へ出かけると、病棟の看護婦さんたちは「てんやわんや」なわけです。「先生、今日は患者さんは海水浴だし、日勤の時間をどう過ごそうかと思って出てきたのに、普通の勤務日以上にひどい」と、あてが外れて忙しい時間となってしまったようです。
 勿論、あおりをくらって私も帯刀先生も『人工呼吸器をつける治療』を無事に完遂することになったのですが、それでも今日中にこの原稿を完成し〝わかば〟編集者のとこへ届けねばなりません。
 このように、人はみな1日という時間、1週間、1ヵ月、1年、あるいは一生という時間をいろいろなことに費やして過ごします。これを「時間の構造化」と言います。2つほど例を挙げて皆さんと共に考えてみたいと思います。
 コミュニケーションを正しく確立しなければならないと、頭ではよく分かっている2人の話が第1です。ある人がある会を企画しました。その人をAさんとしましょう。Bさんは誘われていたけれども参加したくなかった。それを言い出しづらくて悶々としていたわけです。思いきって「参加したくない」と言いました。言い終わったあとにBさんは、Aさんの表情を見てたら発作を起こしました。Aさんもこれまた何も言えず、「ああ、そうですか」と言った後に発作です。この前後にどんなやりとりがあり、「心のアヤ」があったのか。それは問題にしないで、1つの例題として考えて頂きたいのです。両方ともに「コミュニケーションがうまくいかないと、身体、発作であらわす」という時間の構造化、心身の構造化がなお存在するというのが第1です。第2には、日頃から、何かコミュニケーション上で2人に葛藤があったので、たまたま点火されて爆発したと言えそうです。第3には、幼少時、青年期においてもコミュニケーションをとる上で問題を残してきたのを今もひきずっているからと指摘できます。現在、出てきたこの問題は将来の応用問題でもあるのですが、2人はどのようにすればよかったのでしょうか?貴重な時間を発作で構造化しないために考えて頂きたいし、ご意見をお伺いしたいと思います。
 もう1つの例題は、「症状と点滴のことばかり考えている。してもらうことばかり考えている」例のことです。「症状があるし、痰、咳、呼吸困難があるから退院できない。点滴を沢山してもらうと嬉しい。」、「湿布をしてもらったり処置をしてもらったりすると嬉しいし、クスリをもらうと、また嬉しい。」、「子供はアメをもらわないと」と頭でいつも考え、「たまにはアメを」が、いつもいつも結果的には「アメを」と要求して止まない姿です。本人は「我慢ばかりしている」と思っています。もっともっとしてほしいのに、何か言われるとイヤだからと、現在のしてもらうことを死守して時間を構造化し、生活しています。
 以上、2つの例題は、このようなことで時間を構造化していても非生産的である。何とか逃げ出すことは出来ないかということで例示しました。
 人間は自分の欲しいストローク(刺激とか働きかけの意)を得るために、相手や環境を操作しようとします。自分の生活時間を、対人交流をめぐってプログラム化しています。(ふれあいの心理学・「チーム医療」67ページ参照)交流分析入門(「チーム医療」前書と同じく1,500円)では、次のような図で時間の構造化を示しています。(65ページ)

g29

 喘息友の会事業部か城北病院に注文し、本を取り寄せて1つ1つの意味づけを勉強してみて下さい。
 既に本を持っている人はこの機会にもう1度読んでみて下さい。
 本当は温かい家庭を作り、生甲斐のある仕事をし、人と親密な交わりをしたいんだけれども、「症状があるから」という1点の理由で医療側とのやりとり、クスリや吸入、点滴のやりとりに置き換えるか、「自分がうまく求めるものが得られない」と思っては発作を起こす ― こういうゲームが延々と続けられて、24時間、あるいは数年の時間が構造化されることがあります。
 自分は毎日の時間をどういうパターンで、どのように構造化しているのかという検討がどの人にとっても必要です。そして望ましい方向に作りあげていかねばなりません。子供でも登校拒否とか不登校という現象で、学校生活、家庭生活を構造化する例がありますが、成人の場合でも病気を理由に、社会生活を生産的に営むことをせず病院へ逃避するといった場合が出てきます。
 頭では分かっても脱出するのには時間と努力が必要です。どうすればよいかの問題については次号で一緒に考えてみましょう。

30 バランスの問題

強く生きるための医学(30)
喘息大学学長 清水 巍

都に雨の降るごとく

              ポール・ヴェルレーヌ作詩
              鈴木 信太郎  訳

都に雨の降るごとく
わが心にも涙ふる。
心の底ににじみいる
この侘しさは何ならむ。

大地に屋根に降りしきる
雨のひびきのしめやかさ。
うらさびわたる心には
おお 雨の音 雨の歌

かなしみうれうるこの心
いわれなくて涙ふる。
うらみの思いあらばこそ
ゆえだもあらぬこのなげき。

恋も憎しみもあらずして
いかなるゆえにわが心
かくも悩むか知らぬこそ
悩みのうちのなやみなれ。

ど うしてこうも侘びしいのか。悩みが次から次と、雨のように、涙のように降ってくるのだろうか。人間の心の内面を見事に歌い上げたヴェルレーヌも大したものですが、鈴木信太郎さんの訳も大したものだと思います。同じ詩人の〝ましろの月〟(喘大5期生卒論集の巻頭画の詩)は、永井荷風の訳がよいようです。持っている人は出してきてヴェルレーヌを味わってみて下さい。
 このように、悩みや感情を詩や芸術に磨き上げることを〝昇華〟と言います。作る人も、訳す人も、読む人も感動します。なじみや、環境の問題もあるでしょうが、少しでも良き芸術や姿に感動できる健康な自分をつくっていきたいものです。

ところが、

〝都に風の吹くごとく
わが心にも風が吹く。
・・・・・
喉に気管に鳴りしきる、
咳のひびきのしめやかさ。
うらさびわたる気管には、
おお 痰の音 痰の歌。
かなしみうれうるこの気管、
いわれなくて痰が出る。
いかなるゆえにわが気管
かくも鳴るか知らぬこそ
悩みのうちのなやみなれ〟

となってしまうのは、〝昇華〟ではなく〝症(状)化〟であります。たとえ、その原因が家の中のダニのアレルギーであろうと、感染、過労、ストレス、過剰適応や不適応、気道過敏性や公害が原因であろうと、問題解決まで持っていけてない人間の姿、医療機関、社会の姿を現わしています。
 片や芸術で、困ったことや感情を表現し、喘息の人の場合は、困った事態を喘息や身体症状で一生けんめいに表現していることになります。同じように血と汗と涙、努力の結晶であるにしても、生産的な姿と非生産的な姿の差は歴然としています。どうしてこのようなことになってしまうのでしょうか。ヴェルレーヌをもう少し先まで見てみることにしましょう。
 ヴェルレーヌは、このような深い感情を詩に昇華できている時はまだ、生活が安定していたそうですが、泥酔と街娼に身を崩すようになってからは、書きなぐるような詩しか作れなくなって、晩年はとても淋しい姿になった ― と解説書には記されています。今から100年も前のフランスの社会に生きた詩人のことですから、一概に現在と比較はできません。しかし、ここから2つを汲みとることができます。
 1つは、内面から鋭く突き上がってくるものがあっても、健全な生活の中では、〝繊細な音楽のような詩〟に昇華することができたということ。もう1つは、その安定が崩れるや、世紀の天才詩人にしても泥酔や拳銃を使って身を破滅に追い込んだということです。精神的に安定した生活の中では芸術へ凝縮することができたけれども、崩れてからは、酒で自分の身体を責(さい)なむことによって、感情を紛らわしたのです。
 このように、人間は、よい方向にエネルギーを昇華する場合と、自分を傷めつけ、責なみ、病気になってしまう場合とがあるのです。フロイトは、〝死の本能〟が人間に備わっているとしか考えようがない ― と述べましたが、伸びようとして伸びられぬ場合、思うようにならぬと、他人や自分を、伸びられなかった分だけ痛めつけないと、気が済まなくなってしまうのです。昼は表面だけ菩薩のようにふるまっていると、夜は阿修羅か夜叉のごとくならないと、バランスが保てなくなってしまいます。
 夜叉か阿修羅となって思いを実現できれば、喘息にならなくて済むでしょうか。それが出来るほど乱暴ではありませんから、喘息で訴えるしかなくなります。その結果、出てきた症状にやたらこだわる人が、外面、体面ばかりやたら気にする人です。それにこだわる人ほど、内面が問題なのに気づいていません。
 では、どうすればよいのでしょうか。
生の本能、死の本能、があるのか。プラスの指向性があって、マイナスの指向性が同時にあるのか。それを何と呼ぶにしても、生産的な結果と非生産的な結果があるわけですから、両面を同時にコントロールすることが大事です。あまりにも生産的な面を追いすぎて、その反動が来てはいないか。非生産的な落ち込みや、自分への責めの意識が強すぎはしないか。プラスの方もマイナスの方もコントロールしなければなりません。
 時間と努力によって両面をコントロールして、よい結果が生まれるようにバランスをとることが大事です。現実と平和共存し、和解しながらよいバランスを回復することです。肯定的な和解、自分や回りを責めすぎない和解が大切です。
あまりにも理想を追い求めていはしないでしょうか。完全さを求めていはしないでしょうか。それが得られぬからと言って、症状にばかり、目を奪われていはしないでしょうか。自分を傷めつけ苦しめていはしないでしょうか。問題を真正面から解決することが出来ないから、喘息を起こしては逃げてきたのではないでしょうか。もっとよくなりたい、なれないと言っては自分を責め、落ち込んではいないでしょうか。涙さえもこらえてしまい、目は乾き、気管から痰となって出るだけになってはいないでしょうか。現実を拒否するから苦しくなるのです。
 自分に要求する目標を下げたら楽になって、よくなった。本心に気づき、書き、認めることが出来たらよくなった。いずれも現実と和解のバランスが作れたのです。現実を認めた上で、更に、同じフランスのルイ・アラゴンの〝未来の歌〟のように、夢と明日に向って生きようではありませんか。